レシピはベースであって、正解じゃなくていい #ハッピーになるかもしれない朝エッセイ
あれ?
味見をして思う。前回と味が違う。
夕べ、母から、ドライフルーツ入りの食パンをもらった。母の友人が最近ホームベーカリーを買ったらしく、パン作りに熱中しているそう。焼いたパンを母に届けに来てくれるらしい。
「おいしかったらもらってあげるって言ってある」と母の弁。
おかん、やたら上から目線だな。
そういうわけで、「おいしい食パン」が我が家にもおすそ分けされた。
「朝ごはん、食パンだから、何にする? 目玉焼き? オムレツ? スープ?」
娘に聞く。
「野菜が取れるから、スープがいい」
との返事。ほうほう、相分かった。
今日は、玉ねぎ、しめじ、トマト、さつまいものポタージュ。野菜を炒めて、少しの水で蒸し煮にする。煮た野菜をミキサーにかけて潰す。
ミキサーからまだ湯気を立てているポタージュの素を鍋に移す。
ふわっと立ち上る香りに、違和感を感じた。
鍋に移した液体をスプーンでひとすくい。口に入れる。
味が違う。
前回作った時と、味が違った。
材料は前回と同じのはず。玉ねぎ、しめじ、トマト、さつまいも、それからバターと塩。
まずくはない。普通においしい。
ただ、イメージしていた味ではなかった。
ちょっと酸味がきついような気がする。
なぜ、味が違ってしまったのか。
前回との違い。
1 玉ねぎの量が少なかった。
2 トマトが生ではなく、冷凍のプチトマト(数か月前のもの)だった。
3 しめじが多すぎた。
4 塩を入れるタイミングが遅れた。
玉ねぎを切るのが面倒で、気持ち少なかった。
冷凍のプチトマトを消費したくて、入れすぎたかもしれない。それも、あまり熟れていないやつだったから、酸味が強くなったかも。
前回、しめじの味付け力に感動したため、今回ちょっと入れすぎたかもしれない。
玉ねぎを炒める際に塩をいれなくちゃいけないのに、忘れていて、後から足した。
要因はいくらでも思いつく。
だいたい、初めて作るときは、レシピに忠実に作るけれど、2回、3回と作るうちにだんだんいい加減になってきて、材料の種類や量、味付けのタイミングが変わってしまう。いつの間にかレシピの味から外れていく。
まるで、弾き続けると狂っていくピアノの音みたい。
そして、ついに今回のような「思った味にならない」事件に遭遇するのだ。
だけど、材料一つ取っても、毎回同じ大きさ、酸味のトマトなんてないんだし、塩一振りでも、毎回同じにはいかない。
味は毎回変わって当たり前。
そういう意味で、毎度、同じ味を出せるプロの料理人さんはすごい。
でも、逆を返せば、家庭料理はそうやって毎回味が違うからいいんじゃないだろうか。毎朝、同じ味付けのみそ汁やポタージュなら、きっと数週間で飽きちゃうと思う。
材料の違いや、季節、作り手の体調によって味が変わるから、毎日、飽きずに食卓を囲めるんじゃないだろうか。
だから、レシピはベースであって、正解じゃなくていい。
そういえば、塩梅かもめさんがよく似たことをおっしゃっていた。
レシピは公開した時点で私の手から飛び立っていく。それでもいい。私が伝えたいのはスパイスだから。
全く知らない誰かが私からのスパイスを使い、自分や自分が愛する人に料理をする。考えただけでワクワクする。
誰かから学んだポタージュは、作り手の私によって「我が家の”今日の”ポタージュ」になる。
なら、いいか。
そのまま、牛乳と生クリームでのばし、塩で味を調えて、お皿によそって出した。
「うまっ」
夫がポタージュを一口すすって言う。
「これ、チーズ入ってるの? おいしいな」
いや、入ってないし。
「え、そうなん? おいしいよ。なあ?」
娘に同意を求める。
「そうやなぁ…… お、なにわ男子載ってる~」
毎週金曜に届く中高生新聞を読みながら、娘が返事する。
まあ、まんざらでなさそう。
結果オーライ。
多分、次回も違う味。