どこまでも読む人に優しいかぼちゃ本と「たまごかけ」
「たまごかけする?」
子供の頃、朝、寝ぼけた顔して食卓につくと、母が台所から声をかけてくれた。
母は、卵かけご飯のことを「たまごかけ」と略して呼ぶ。
だから、私も卵かけご飯のことを「たまごかけ」と呼ぶ。
だから、動詞は「たまごかけする」だ。
「はい、卵」
冷蔵庫から出したばかりの大きな卵(こっちではLサイズが基本)と醤油とお皿、そして熱々の白いご飯をこんもりと盛られた茶碗が、威勢良く「はいよ!」と食卓に置かれる。その傍らには、これまた熱々のお味噌汁。
卵を持ち上げると、ひんやりと冷たい。
コンコン。
お皿の端っこに卵をぶつけて、卵をそおっとお皿に割り入れる。醤油をぐるっとまわしかけ、お皿を持ち上げて少し傾け、カシャカシャと音を立てながらリズミカルにとお箸でかき混ぜる。白身と黄身がうまく混ざらないから、お箸でなんどもなんどもかき混ぜる。
子供の手では、ちっともうまく混ざらないけど、早くしないと熱々ご飯が冷めてしまいそう。えい、ままよ! とご飯に卵をドバッとかけると、案の定白身がどろんと先にご飯に乗っかって、あとを追いかけるように黄身がおっとりとご飯に乗っかる。
茶碗から卵が落ちないようにそおっとそおっと、やさしく卵とご飯を混ぜていく。
「ああ!」
卵が茶碗から溢れる。慌てて手で押さえ込み、手のこうの端っこが黄色くそまる。それを口でちゅるんっと吸い込んだ。
育ち盛りの子のために、母はご飯を多めによそうから、毎回こうなる。
厚みのない子供用のお茶碗を通して、ご飯の熱が手に伝わる。あちちと言いながら、適度に混ざった「たまごかけ」をぱくん。
ひんやり卵に熱々ご飯。醤油の香りと卵のこっくりした旨味が口の中で大合唱。ああ、美味しい。
卵を母に割ってもらっていた幼稚園、小学校低学年時代から、いつしか、自分で割って食べられるようになり、母が更年期障害が重く朝が起きられない日が多くなった高校時代は、朝の補習を受けるため一人で起きて、炊飯器から炊きたてのご飯をよそって、「たまごかけ」でお腹を満たして登校してた。
「たまごかけ」は、ずっと私の朝ごはんの伴奏者だった。
今もそれは変わらない。
その「たまごかけ」が、巷では最近、TKGなんて呼ばれていろんなアレンジがされているらしい。白身を泡立ててみたり、かつおぶしを混ぜたり、マヨネーズをトッピングしたり、ほかにもいろんな食べ方があるらしい。
夫は、たまごかけごはんに、うま味調味料をふりかける。
「美味しいよ」と私を誘うけれど、頑なに拒否し続けた。
私の「たまごかけ」は、シンプルに卵と醤油だけでいいのだ。
しかし、それが、覆される日が来てしまった。
小中ぽこ(ぽこねん)さんのこのnoteを読んでしまったあの日から。
卵かけごごはんと納豆のコラボレーション。
本当かなぁ。ほらまた、TKG的なやつの仲間じゃないの?
読み始めた当初は半信半疑。いや「邪道だ」くらい思っていたかもしれない。(ぽこねんさんごめんなさい)
どうした! どうした! あの穏やかなぽこねんさんをここまでのテンションにさせる納豆卵かけごはんとは一体なんなのだ!?
ここからのぽこねんさんは、流れ星のようなすばやく行動に移す。あっという間に、納豆卵かけごはんは彼女の口の中へ。
私の脳内で、こってりした卵の味とだしを纏った納豆の旨味が弾けた。とろとろ2重奏。最高のハーモニーではないか。
食べてみたい。
食べてみたい。
食べなくては!
早速、小さめの納豆パックを買って来て、試してみた。
結論。
めちゃうまい!
ぽこねんさんが書かれていた、まさにその通りの味がここに再現された。
納豆パックについているだし醤油が普通の醤油より優しい味で、しょっぱすぎず、甘すぎずちょうどいい。
納豆の臭みが卵のおかげか、少し和らいでいて、食べやすい。そして、納豆の豆の旨味が、卵に乗っかって、味に奥行きができる。うまさ倍増。
もう、すっかり虜になってしまった。
卵と醤油だけのシンプルなたまごかけこそ我が人生の朝ごはん、その私のポリシーは、あっさりと覆された。
以来、小さめ納豆が冷蔵庫に常備されるようになった。
もちろん、納豆とご飯だけで食べる日も、卵とご飯だけで食べる日もあるけれど、「今日はがっつり食べたい!」と思う日は、「たまごかけwith納豆」だ。食べるとなんだか、元気も倍増する気がする。
あ、今、納豆切らしているんだった。明日買ってこよ。
ぽこねんさんが、このnoteを書かれたのが去年の11月。
それからずっと、当たり前のように「たまごかけwith納豆」を食べてきた。今じゃ、ぽこねんさんに教わったことさえ、忘れてしまっていたくらい。(ぽこねんさん、重ね重ねごめんなさい)
それが、昨日、思い出したのだ。
ああ、「たまごかけwith納豆」は、ぽこねんさん発だったと。
それは、この本が届いたから。
文庫サイズの冊子は、つやつやの表紙に、お皿に乗ったかぼちゃの写真。とても静かで穏やかで、かわいらしい。まさにぽこねんさんの佇まいのよう。
思った以上にたくさんのエッセイが章立ててまとめられていて、目次を見てワクワクした。
読み始めて、しばらくして現れたのが、「納豆卵かけごはん」のエッセイ。それは、懐かしい人に再会した気持ち。
紙で読むとまた味わいが違った。
横書きと縦書きの違いもあるし、フォントも違っている。
何より、スマホの画面ではなく、紙に印刷されているということ。
紙の余白の部分から、記憶がポロリポロリと浮かんできた。
それがなんとも心地よい。
ざわついたところではなく、静かな落ち着いたところで読みたい。読みながら自分の記憶や感情を味わいながら読みたい。
寝る前に少しずつ、少しずつ読もう。
そう思って、本をそっとベッドの枕元に置いた。
どこまでも読む人に優しい本だなぁ。
それは、まるでぽこねんさん、そのもの。
小柄で可愛らしいお姿のぽこねんさん。その一方で、その体の中にぎゅっと凝縮されたバイタリティが詰まっている人。圧縮されたエネルギーは時に、大きな行動力となって、私たちの前に現れる。
納豆卵かけごはんに向かう瞬発力、カバがスイカを食べる話を、大きなジェスチャーとともに語る熱量、あの8000字を超える福岡のクリスマスマーケットのレポートは圧巻でした。(自粛明けに行きたい!)
ついてそして何より、ご自分のエッセイを忙しい暮らしの中でこうして本に仕上げる実行力。
小さいお子さんがいて、お仕事もあれば、お忙しいだろうとは誰だって想像がつく。
「もう、いいかな」と、自分の夢を諦めることは簡単だ。
でも、時間なんてあっという間にすぎる。振り返ると、やってこなかったことを数えるばかりだ。そう、「いつか、できるとき」なんて、ずっと来ないんだと気づいたときには、もう間に合わない。そんなことの繰り返し。
だから、いろんな制約の中で、今、夢を叶えたぽこねんさんは、すごいのだ。
この本は、私に「ねえ、あなたも、今できること、あるんじゃない?」とそっと優しく優しく背中を押してくれる。
だけど、ぽこねんさんは、とても謙虚。
やっぱり、どこまでもどこまでも、読む人に優しい本だ。
(上記のぽこねんさんのnoteから、購入サイトにつながるそうです。)
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