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はじめの一歩が踏み出せる魔法の言葉 #ハッピーになるかもしれない朝エッセイ

イベント、サークル、〇〇会、教室、新種のSNS。

自分のアンテナにビビッと来たものはたくさんあるけれど、どうも「はじめの一歩」が踏み出せない。

1 終わり方を考えてしまう

恋も人生も、始まりがあれば終わりがある。
新しいことを始めようと思ったとき、真っ先に思うのは「どう終われるか」だ。
今日始めた何かを、死ぬまで一生続けられることはない。
どこかで「辞める」タイミングがくる。
どうしてもやめなければならない物理的な理由、例えば、引っ越すとか、仕事のシフトが変わって参加できなくなったとか、そういうことがあれば、正々堂々と「辞めます」と言える。
一番難しいのは、「なんとなく、自分に合わなくなってきた」と感じたときだ。
このまま続けるのがいいのか、辞めて別の世界に目を向けたほうがいいのか迷っていたり、メンバー間でのいざこざがあったり、参加者との心理的距離を感じたとき、どうやって「辞めます」と言い出せばいいのだろうかと悩む。
そんなことに悩むくらいなら、最初から参加しなければいいと思ってしまう。

2 うまくできる気がしない

文章を書き始めたのは、書く仕事がしたかったから。
そのころ、今の仕事が辛くて辛くて仕事を辞めようと、真剣に考えていた。結局、今も辞めずに働き続けているので、本気の本気ではなかったのかもしれないけれど。

会社の決まりで副業は禁止(見つかってクビになった人もいる)なので、報酬をもらって書くことは難しい。

でも、このnote以外のところで、何か書く仕事がしたい気持ちは今もある。

だけど(逆接が多いな)、果たして自分に、人様の期待に添えるような文章が書けるのかというと、全くもって自信がない。
このnoteでも、企画とかリレーnoteなどのお誘いを頂いて書かせてもらうこともある。頑張って考えて書いているつもりだけれど、全くうまく書けた気がしないがないまま、公開している。
毎回、締め切りは近づくし、書かなくちゃいけないのに書くことが思い浮かばないし、焦りばかりがつのって、お腹も頭も痛くなる。

ネットで記事を書かれているnoterさんたちには、尊敬しかない。

3 そもそも、知識がない

「ぼーっと生きてんじゃねーよ」と、あのチコちゃんに叱られそうなくらい、ぼーっと生きている。
「晩御飯、何食べよう」と「今日はあのドラマを見よう」くらいしか、考えていない。
その上、記憶力がないので、せっかく調べて知ったつもりになっても3歩歩くと忘れる。読んだnoteの内容も、テレビドラマで見た心に沁みたセリフも、おしゃれの情報も、己の感情すら、3分たてば忘れる(記憶がウルトラマン)推しの誕生日すら覚えていられない。
人に話す前に、文章に記録する前に、私の頭の中から全部消えてしまう。
なので、語れるものがない。

人の集まるところに行くと、参加者の方々の知識の多さや記憶力の良さに感服する。

4 要は、「見栄っぱり」の「負けず嫌い」

本当の自分より、ちょっとよく見せたい気持ちが強いのだ。「本当に自分よりちょっと上」に理想の自分がいて、理想どおりにならないのが気に食わないのだ。「残念な自分」を見たくないので、新しい世界に一歩が踏み出せない。

失敗することでしか学べないくせに、失敗から逃げようとしている。

「『自分がうまくできるはずがない』とはじめから思っているので、何にでも飛び込むことができるんですよ」
ある人から頂いた言葉。
そうか。「もしかしたら、うまくできるかも」なんて、心のどこかで自分を買いかぶっているから、できなかったときに落ち込むのだ。
「最初はできなくて当たり前。やってみて直せばいい。人に教わればいい」というスタンスなら、どんなことだって、始めてみることができる。

少しだけ、一歩を踏み出す勇気が出てきた。

しばらく、文章を学ぶことから遠ざかっていた。今よりうまくなりたいくせに、今の自分の未熟さを知りたくなくて、新しい世界へ踏み出すことを恐れていたけど、ひとつやってみよう。

今朝、とある作家さんが講師を務められるオンライン文章講座に申し込んだ。800字程度のエッセイを提出しなければならない。
今の自分の文章を、プロの目に晒すこと、人前に晒すことはめちゃくちゃ恥ずかしくて怖いけど、できなくて当たり前なのだから。
たった一晩のオンラインイベントだけど、それが、私のはじめの一歩。

でも、やっぱり、お腹痛くなってきた……



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RUMI
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