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娘のいない朝に
コタツの上を覆いつくしていたモノの中から、娘のモノだけが忽然と消えていた。
ダイニングテーブルからも、娘のメイク道具一式が消えている。
娘の歌声と推しを尊ぶ嬌声が聞こえてこない。
静かだ・・・・・・
コーヒーをすする自分の音と、キーボードを叩く音がよく響く。
1か月半、滞在していた娘が、大学のある町へ帰った。
じんわりとさみしさが、胸に広がる。
今回のさみしさはいつも以上かもしれない。結構ダメージが大きい。
去年の春も、夏休み明けも年始も同じように、娘を見送ったはずなのに、今回が一番きつい気がするのはなぜだ。
大学生活も1年が過ぎて、娘も大分慣れたようだ。
コンスタントにアルバイトを始め、サークル活動も順調のようだ。体調が悪ければ自分で評判の良い病院を探して通っているらしい。
娘の根っこが少しずつ向こうの街に広がり始めている。
「ゴールデンウィークは多分帰ってこないかも」
サービス業のアルバイト、それから友達との旅行に行くらしい。しっかり働き、しっかり遊びたまえ。
「もちろん、いいよ」と答えた。
「夏休みも長くは帰らないと思うよ」
「はいはい」
「来年の春休みは、短期留学するかも」
「そりゃ、いいじゃない」
娘の前では調子よく言う。
次に帰ってくるのは、いつになるのだろう。
今までは「次はゴールデンウィークね」「夏休みのいついつね」「年末はこの日に帰るね」と、いつも次の帰省の約束があった。
でも、今回は違った。
次は、ゴールデンウィークなのか、夏休みなのか、年末なのか、はたまた1年後なのか、娘は確約せずに帰ってしまった。
どうやら、次が分からないことが、このさみしさの原因らしい。
もちろん、何か用ができれば帰ってくるだろうし、私だって割と忙しいので、年がら年中、娘を待っているわけでも、帰ってきた娘を構っているわけではない。
いたらいたで、「めんどくさいな」「ちょっとぐらい家事をしてくれたらいいのに」なんて勝手なことを思ったりもする。
そんなこんなで、朝から虚無感にとらわれていた。
今日も外はいい天気だ。
庭に出てみた。
近くの神社の桜も満開を迎えている。
暖かい日差しが降り注いで、冷えた体を温める。
鉢植えのクリスマスローズが数輪、一気に開花していた。
蕾がついていたなんて、全然気づかなかった。
アメリカジャスミンは、小さな葉を枝いっぱいに付けている。
「まあ、そんなに気落ちなさんな。これからは、私たちの世話でもしなさいよ」
と、植物たちが声を掛けているようだ。
クリスマスローズの花がよく見えるように、周りの葉を間引いた。
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黙々と植物に向き合っていたら、ちょっと気持ちが上がった。
夫とふたり暮らしが戻って来た。
晩ごはんは、夫の好きな「豚肉の生姜焼き」にしよう。
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