果報は悩んで待て #ハッピーになるかもしれない朝エッセイ
この春、長男が大学に入学したから、次は学年が年子の下の娘が受験生。
娘が希望するのは、ちょっとした難関大学。
もちろん、合格判定はひどいもんだ。
母としては「そんな高望みしなくても、身の丈に合った大学でよくない?」と思うのだけれど、言い出したら聞かない娘の性格を知っているので、基本的には「ほうほう、まあ、頑張れ」と傍観を決め込んでいる。
その娘も、いよいよ現実を見るときが来たらしい。
今朝、先に起きていた娘がリビングで何やらスマホとにらめっこしている。
ほかの大学を調べているようだ。
「ここならどう?」
「この街に住むのがよさそう」
「なら、そこなら?」
夫とともに朝の家事の手を動かせながら、娘の進路相談に乗る。といっても、反抗期真っただ中の娘の中には確固たる自分の意見があって、所詮、親の提案など聞き入れなどしないのだけれど……
「もう、考えるの疲れたぁ。もう、どこも行けるところないじゃん!」
朝食とお弁当が完成するころには、調べ尽くした結果、余計混乱しただけで何の答えも出せなかった娘が、ふてくされた。
「まだ4月じゃない。先生とも相談して、ぼちぼち、探しなよ」
「それじゃ、遅いんだよ!」
の応酬を繰り返し、今日の進路相談はお開きとなった。
日本の国公立大学、私立大学は800校近くもあるそうだ。
選択肢が多いというのも考えもの。
まあ、いっぱい悩めばいいと思う。
あの扉かな? いや、この扉かも? と、調べて尽くして、考えて考えて、悩んで悩んでしているうちに、ふっと「あ、これだ!」と思える一本道につながる扉が見つかるものだ。
自分が見つけることもあれば、周りからすっと扉を指さしてもらえたり、突然目の前に現れたり。いつも想像の斜め上から答えは降ってくる。
それはあっけないほど近くにあったり、簡単に開く扉だったりするから、人生とは、本当によくできている。
「もう、ママ行くね」
リビングにふてくされる娘を残して、入れたてのコーヒーを片手に寝室に引っ込んだ。
何もできない母でごめんよ。
でも、自分で悩まないと道は見つからないからね。頑張れよ。
階下から口笛が聞こえる。
今日のところは一人で何かしらの結論に達したらしい。
それでいい。
果報は悩んで待て。