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思い出のあの2日間
神戸といえば、思い出深い2日間がある。
始まりは、こんなことから……
「ちょっと! まだ着かないの?!」
父の携帯電話の向こうで、妹が語気を荒げている。電話の声は、父の耳を超えて、近くに座っている私や夫の耳にも入ってきた。
本来なら、控室でウエディングドレスをまとって楚々として座っているはずの新婦が、朝っぱらから殺気立って様子で、電話口に立っているに違いない。
早朝に徳島を出たマイクロバスは、高速道路を降りて、神戸の市街地を走っていた。マイクロバスの右手奥には、目的のホテルが見えている。
ホテルは、神戸の海に突き出すように建っていた。
私たちが貸し切ったマイクロバスは、先ほどから何度も何度も高速道路の下の一般道路を右折、左折と繰り返しているが、神戸の街の先っぽにそびえるホテルは見えているのに一向に近づいてこない。
運転手は、大丈夫だと繰り返すが、どう見ても道に迷っていた。
「もう、式まであと1時間しかないのよ!! 何とか着いてよ!」
妹は、そう言い残して、通話が切れた。
妹が夫になる人の実家のある神戸で、結婚式を挙げると決めたのは、半年ほど前のことだった。
本当は、家族だけでハワイで海外挙式としゃれこむ予定だったのだが、準備を始めた直後、祖母が体調を崩したり、なんだかんだあって、ハワイは新婚旅行として行くことなり、結婚式は日本で挙げることになった。
外観が波のような流線形で、海を臨むように建っている美しい神戸のこのホテルを式場に選んだのは、海外挙式を断念せざるを得なかった妹の精一杯の妥協策だったのだろう。
それなのに、新婦側の親族が式の時間に間に合わないかもしれないというアクシデント、妹のいらだつ理由はよくわかる。
見かねた従兄弟が、運転手の横でカーナビを操作し始めた。
「音声案内を開始します」
カーナビが乗客にもたらしたのは、あと10分ほどで現地に到着するという安心だった。
「カーナビなんてなくてもねぇ、道、わかってますで」
と出発前に運転手は豪語していたが、カーナビの操作方法を知らないことを隠すためのハッタリだった。
結婚式に向かう乗り物にツキがないのは、我がファミリーの伝統になりそうだ。
私の結婚式の時では、夫と夫の友人2人が式場まで乗ったタクシーの運転手が、式場に到着するまでの1時間、延々と「結婚とはいかに人生の墓場であるか」を若い男性3人を相手に演説し続けたそうだ。
彼らが、苦笑いしながらタクシーから降りてきたのを今でもよく覚えている。
マイクロバスは何とかギリギリ到着した。
ホテルの玄関で留袖姿のまま仁王立ちしていた母に連れられて、新婦の父はモーニングに着替えるべく、更衣室へ連行された。
挙式、披露宴を無事に終え、お疲れ気味の母とほろ酔いの父と親族を乗せ、マイクロバスは、知った道を帰っていった。
私たち夫婦は、せっかく神戸に来たのだから観光でもしようかと、妹に頼んで、このホテルに部屋を取ってもらった。
翌日からハワイに新婚旅行に出発する新婚ほやほやの妹夫婦とは、翌朝会うことにして、私たちは、ハーバーランドに向かった。
ハーバーサーカスに向かった私たちが、夕食にえらんだのは、
「ハードロックカフェ」だった。
アメリカ南部のダイナーをイメージしたという、ロードムービーに出てきそうな内装の店内。外観には、巨大なギターのオブジェが掲げられ、まさに「ザ・アメリカ!」的なお店。
ハンバーガー、フライドポテト、フライドチキン、コーラ、ビール、トロピカルカクテル。結婚式での上品な昼食と真逆のジャンキーな晩御飯。
おいしかったかどうかは忘れたけれど、夫と二人、時間を気にすることなく、飲んで食べたのは、とても楽しかったのは覚えている。
翌朝、妹夫婦と合流し、三宮を散歩した。
中華料理店に立ち寄って、早めの昼食をとった。中華がゆを初めて食べたのは、この店だったと思う。鳥ガラだしで煮たおかゆは、滋味深くて、おなかの芯まで温まるようだった。
「ねえ、この後どうする?」
妹に尋ねる。
「そういえば、従妹のアキちゃんが、生田神社で就職試験の合格祈願したら、ほんとに合格したって言ってた。生田神社、めっちゃご利益あるんちゃう?」
「じゃあ、行ってみよう」ということで、歩いて生田神社に向かった。
都会の街の真ん中で、急に姿を現す生田神社。
なんでも、妹のダンナさんご家族の初詣は毎年、生田神社なんだそう。神戸市民に親しまれている神社らしい。
当時の私の願い事は、ただ一つ。赤ちゃんが欲しい。
子供がほしいなと思い始めて、半年が過ぎていたけれど、一向にできる気配がなかった。まだ半年、だけど、人事異動や育休のサポート体制を考えると子供を産むチャンスが、ちょうど今だった。子供なんてすぐできると思っていたらのに、うまい具合いに妊娠するのがこんなに難しいと思わなかった。
「赤ちゃんができますように」
神頼みでうまくいくとは到底思っていなかったけれど、従妹の経験を信じてみたくなって、神様に手を合わせてみた。
そのあと、神戸の東急ハンズで買い物して、徳島に帰った。
そして、生田神社で「赤ちゃんができますように」と神様にお願いしてから、19年。今、18歳の息子と姪(妹夫妻の娘)がここにいる。
残念ながら神戸のハードロックカフェはもうなくなって、あのホテルにも生田神社にも行けていないけれど、ことあるごとに思い出す。
そろそろ自粛生活も終わりそうだし、今更だけど、お礼参りと息子の合格祈願に行こうかな。
願い事がある方は、生田神社へどうぞ。叶いますよ。
タダノヒトミさんのこちらの企画に参加させていただきました。
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