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夕焼けに胸が痛むのは

夕焼けが綺麗だった。
「今日の夕焼けはめっちゃ綺麗だよ」
夫に写真をLINEで送る。
「ほんま、綺麗やなぁ」
返信が来る。心がふっと温かくなる。通じ合った気持ちがうれしい。

夕焼けが好きだ。オレンジシャーベットのような空。時間とともにオレンジ色が紺色に塗り替えられていく、そのグラデーションの美しさ。
でも、少し胸が痛い。ごめんねって言いたくなる。
それは、まだ私が馬鹿な子供だった頃の話。

「これが見せたかった」
彼はそう言いながら、高層ビルの窓の外を指差していた。
大きな大きな夕日と、黄金色に染まる空。秋の夕暮れ時のほんの一瞬の輝き。

その前の日、電話で、
「明日絶対、この時間にここに来いよ」
と彼が言った。
彼が指示したのは、大学受験の模試が行われるビルで、ちょうど模試が終わる時間。
彼は浪人生だった。
模擬試験が終わって一息ついて、どこかでご飯でも食べようと、私を呼び出したのだと思った。
次の日、彼の指示通りに行った。
試験が終わって、一番に会場から飛び出してきた彼が、私の手を掴んだ。
「こっち、こっち」と上の階へ連れて行く。
最上階に近いフロアまで上がり、窓際まで私を連れてきて外を指差した。
そこには、雲ひとつない空に、金色の夕焼けが広がっていた。
「これをお前に見せたかった」
照れ屋の彼がつぶやいた。

次の瞬間、私はその彼の気持ちを踏みにじった。
「なんだ、それだけ?」

「他に好きな子ができた。もう付き合えない」
と言われたのは、それからしばらくしてのことだった。
他の子に取られたことが悔しかった。なんであんな女に取られなきゃいけないの?彼女のどこがよかったの!?
さんざん彼をなじった。彼がいかに悪人かと友人たちに言って回った。

お前が、そんな人間だから、振られるんだよ。

彼に振られて数ヶ月後、ぼんやりと聞いていた大学の講義中にふとそんな言葉が頭をよぎった。

私は何にもわかってなかった。
恋に恋していた少女漫画のヒーローに憧れるような、ただの子供だった。
大学の同級生のように、かっこいい車で深夜のドライブに連れて行ってくれて、記念日にはアクセサリーや花束をプレゼントしてくれて、美味しいレストランに連れて行ってくれて、ブランド物をカッコよく身につけた彼が欲しかった。

でも彼は浪人生で、お金も時間も持ってなかった。
それが、ちょっと恥ずかしくて嫌だった。

あの時の模試は二日間あった。
多分、模試の初日の帰りにあの会場から夕日を見たんだろう。あまりにそれが綺麗だったので、私に見せたくなって、「明日、来いよ」っていったに違いない。
美しい風景を、好きな人と一緒に見たかったんだ。
私を驚かせたくて「明日、来いよ」とだけ言ったんだ。
その気持ちがどんなに素敵なものなのか、私は全然わかってなかった。
見栄と欲望にまみれた私には、彼の優しさが見えなかった。

私がこんな人間だから、振られたんだ。振られて当然だ。
ごめんなさい。本当に何もわかってなかった。
こんな心のない私と、優しい彼は一緒にいちゃいけない。彼の幸せのためにも。

もう一度あの時の彼の顔を思い出した。
「なんだ、それだけ?」
と言ったその後、彼はため息をついて、表情をなくして俯いた。
そして、それ以上、もう何も言わなかった。

その時の彼の表情は今でも忘れられない。

あれから20年以上が過ぎた。
お別れしてから彼には一度も会ってない。
ごめんなさいと伝えたくても、もう伝えるすべもない。
雑踏の中にいると、どこかで彼に出会えそうで、今でもちょっと探したりする。
彼はもうあの日のことを忘れてしまっただろうか。
でも、私は今でもあの日のことを謝りたい。

あの時「ああ、本当に綺麗。見せてくれてありがとう」って言えてたら、どんなによかっただろう。

今なら分かる。
深夜のドライブや、アクセサリーやレストランの料理じゃ満たされない、心の奥の大事なところを満たしてくれるものがあること。
お金じゃ買えない美しさがあること。
それから、彼が、私が思っている以上に私のことを好きでいてくれていたということ。

本当にごめんね。
美しい景色を私に見せたいって思ってくれてありがとう。
私を好きでいてくれてありがとう。

夕焼けを見るたび、ちくっと胸が痛む。
でもあの日からずっと夕焼けが好きだ。多分、一生好きだ。



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