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また会える -週末・恋愛小説 #リライト金曜トワイライト

その日、時間ができたので渋谷のBunkamuraの本屋に立ち寄った。
ぶらぶらと店内を巡っていたら、1冊の美しい写真集が目に入った。
盲目の人をテーマにしている。そして、ページすべてに点字の表記が施されている、とても珍しい写真集。吸い寄せられるように手に取った。
撮影者の名前を見る。それは、あの子の名前だった。

急いで写真集を買って、近くのカフェに入った。

写真集をめくる。
1枚、また、1枚。こんなところに彼女はいた。
遠い昔の花火のような、二人の記憶。
あれから、どれくらいの時間がたったのだろう。

「ねえ、赤穂浪士って知ってる? 日本史、詳しいんじゃない?」
中学3年の冬、前の席の女の子が僕を振り返って、僕に聞いた。
知ってるも何も、この学校の近くのあのお寺、赤穂浪士ゆかりの寺じゃないか。
毎年、12月14日には「赤穂義士祭」だって開催されてる。
「えー、全然知らなかった。行ってみたい」
なんでも、テレビドラマで好きな俳優が大石内蔵助を演じていて忠臣蔵にハマったらしい。俳優がいかにかっこいいか、ドラマがどんなに面白かったか、澄んだ瞳をキラキラさせて、彼女は語った。こんなにしゃべる子だっけ?
そんな女子の話は、いつもなら右から左に聞き流すのに、なぜか彼女の話にぐいぐい引き込まれた。
「だから、赤穂義士祭り、連れてってよ」
彼女の瞳に吸い寄せられて、つい、いいよって行っちゃったんだ。
あの日僕は、赤穂浪士の行列に萌える彼女の横顔をじっと見ていた。

中学を卒業して、別の高校に通った。
とはいえ、同じ街に住んでいれば、書店やカラオケ店、図書館、美術館、コンビニなんかで時々顔を合わせる。そんな時は、一緒に本を探したり、カラオケに合流したり、コンビニで新作のお菓子談議に花をさかせた。
彼女が写真に興味を持っていて、将来、写真家になりたいのだと知った。
「いつか写真展がしたい」
澄んだ目で空を上げて、未来を語っていた。
1度だけ、クリスマスの日にデートしたことがあった。
「クリスマスの日に一人なんてむなしいから、付き合ってよ」なんて気まぐれで言ったら、ほんとに来てくれた。商店街のイルミネーションの下を、あてもなく肩を並べて歩いた。
君は、コンビニでクリスマスパッケージのお菓子を「かわいい」と欲しがった。僕はそれを買って、コンビニの袋のまま君に手渡した。

大学生になった。
彼女は、将来の夢をかなえるため、写真学科のある美術大学を選んだ。僕は、自宅から近い大学の「経済学部」に通った。選んだ理由は、当時、経済学部が就職に有利だったから。僕には、将来の夢なんかなかった。
大学の授業は思った以上にハードだった。文学部にしなかったことを後悔した。

その日は、広尾にある図書館で試験勉強していた。

「また会えたね」

声の主は、彼女だった。
「久しぶりに友達と近くまで来たから、寄ってみたんだけど、まさか会えるなんてね。元気?」
相変わらず、澄んだ美しい瞳で、彼女が僕に笑いかけた。
元気だよ。だけど、内定もらってんのに留年目前、必死だよ。
自嘲気味に言って僕は笑う。
「そう、頑張ってね。またね」
彼女は小さく手を振って、友人の待つ向こうへ駆けていった。
素直にがんばろう。なぜか、そう思えた。
できれば、もっと話したかったけど。
あれから数日、続けて図書館に通ったが、もう彼女には会えなかった。

連絡しようとすればできた。電話番号も知っていたし、メールアドレスもしっている。家だって知ってる。でも、連絡しなかった。したら、僕らの何かが壊れるような気がしていた。

大学を卒業して、4年が過ぎていた。

レンガ造りの古いビルの廊下。
天井の低い湿った空気が充満する。
大量の資料を抱えた女性が、こちらに歩いてきた。僕は道を開けようと廊下の端に寄って目線を落とし、廊下の床を見つめていた。通り過ぎるかと思ったら、女性が立ち止まった。

「え?なんでココにいるの……」

顔を上げると、そこに彼女がいた。

「お茶くみみたいな感じ。ぜんぜん写真の仕事じゃないの」

プシュッ。屋上で、甘い缶コーヒーのプルタブを開ける。
腫れあがった指先が、ぴりっと痛んだ。
ごくりと飲むと冷たくて、頭のてっぺんまで達するような、甘みと苦みが広がった。まずかった。

彼女は美大の写真科を出て、広告撮影のカメラマンが所属する会社に入社していた。偶然にも、そこは僕の勤める会社の関連会社だった。
だけど、彼女はそこで思うようにキャリアを積み上げることができずにいた。

そして、僕も。
月120時間の残業と休日出勤。
パワハラ上司、頭の古い先輩。悪しき習慣。経済学部を無事卒業した僕は、広告代理店という一見華々しい世界に足を踏み入れた。しかし、内実は、古い職人気質の人間が跋扈する世界。皆、自分のことに精いっぱいで、新人の指導など考えも及ばない。「見て覚えろ。体で覚えろ」なんて、到底無理な話だ。誰にも心がなかった。一番最初に、体が拒否した。
手に蕁麻疹ができた。営業に出かけるときに持つ紙袋にいつも血が滲んでいた。

「僕たち、どこでどう間違えたんだろうな」
甘苦くて、まずい缶コーヒーをすすりながら、僕はつぶやいた。
僕のグチを黙って聞いていた彼女が、ぽつりと言った。
「私、諦めてないから」
はっとして、彼女を見た。彼女の澄んだ瞳は、高校時代と同じように空を見ていた。
「今は、写真の仕事をさせてもらってないかもしれない。でもね、お茶くみだって、コピー取りだって、上司の機嫌取りだって、いつか絶対どこかで役に立つ、そう思ってやってる。無駄にはならないし、しない」
そして、フランスに写真の勉強に行く準備をしていると言った。

僕は今日まで何をしていたのだろう。
夢もなく、ただ上司や先輩のグチを吐いて、自分を正当化することばかりに、日々を費やしていたんじゃないか。
理不尽な状況の中でも、そこから何かをつかみ取ろうとしただろうか。
一つでも何かを成し遂げただろうか。
そこから、新たな何かを生み出しただろうか。
やりたいことを見つけただろうか。
答えは、全部ノーだった。
体が拒否していたのは、今の自分自身だった。

彼女に会ってから数年、僕は必死で働いた。この世界の、あらゆることを吸収して、会社を辞め、独立した。
あの時のことを思えば、多少のオーバーワークも平気だ。
あの時のことを思えば、今がどんなに恵まれているか分かる。
そして、あの時は、会社に守られ、自分がどんない良い環境にいたのかを痛感させられる。
あの日、彼女に会わなければ、僕はどうなっていただろう。

運転免許の期限が切れそうだと気づいたのは、失効する3日前だった。
慌てて免許センターへ駈け込んだ。
受付に並ぶと、数人先の窓口に見覚えのある背中があった。
彼女だった。
髪は黒髪のまま、以前より長くなって艶めいていた。
ざっくりとしたセーターに、スリムパンツとブーツが良く似合っていた。
受付を済ませ、こちらへ向かってくる彼女に目線を送った。
彼女と目が合った。
「久しぶり! 免許の更新?」
昔と変わらない、だけど、昔より自信に満ちた顔で、彼女が笑いかける。
免許が明日失効するんだよ。ヤバいんだよ。
「いつも、ギリギリね」
彼女が笑った。そうだ、僕と彼女の誕生日は1月違いの同じ日だった。
フランスで写真の学校に入り直して、パリでフリーのカメラマンをしていると言った。
翌週、一緒にランチに行った。
パリでの生活、写真への思い。中学時代に戻ったようだった。好きな俳優と忠臣蔵の話。彼女はあの時みたいに、熱っぽく語った。
いつまでも聞いていたい。できればこのままずっと。そう思った。

だけどまた、僕はそれ以降、彼女に連絡できなかった。

「いつもギリギリね」
人生の節目に君は僕の前に現れる。
君は、僕の何なのだろう。

僕は、今、君に会いたい。

「お待たせいたしました」
店員が、注文したものを持ってきて、はっと我に返った。

写真集をテーブルに置き、スマホを手に取った。
メールを起動する。白い画面が映し出された。
心臓が高鳴った。
最初の一文字目を打とうと、「は」の上に指を置いた。

彼女に会いたい。

「おまたせ」
背中から、声がした。妻だった。
指が止まった。
「何? それ、綺麗な本ね」
「ああ、僕の古い知り合いが出した本だよ。さっきたまたま本屋で見つけてね」
「素敵じゃない! ちょっとよく見せて」
彼女は、写真集をじっくり眺め、ゆっくりとページをめくる。
僕は、スマホの画面を消して、テーブルに伏せて置いた。
やめておこう。

出会えたのも縁なら、別れるのもまた縁。
僕らに縁があるのなら、またどこかでばったり出会うことだろう。
その時まで楽しみはとっておくよ。

「めずらしいね、潤が紅茶なんて」
「まあな」

「また会おう」

それまで、どうか元気で。
きっとその時僕はまた、何かのギリギリだろうな。

紅茶のカップを持って、口の前までもっていき、一瞬手を止めた。
僕の恋する女神に、乾杯。

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【追記】

池松さんのこちらの企画に参加させていただきました。
「書けよ、書けよ、書けるだろう」と優しい圧をかけてくださった皆様に、心より感謝申し上げます。

こちらをリライトしました。

【なぜこのnoteを選んだのか】
仲高宏さんがお手本を示してくださったからです。
なるほど、リライトとは、こういうふうにするのかという道筋を照らしてくださったので、乗っからさせていただきました。
あと、池松さんのこの物語に似た経験があったりなかったり(内緒)

【リライトポイント】
出会うのも別れるのも縁というか、タイミングみたいなものがあると思っています。
あと少し早く出会っていたら、別れていたらみたいな、人生のままならなさの中に、また味わいがあるんじゃないでしょうか。

そこで、ポイントを3つ作りました。
1 二人が出会ったり、出会わなかったりする関係性を出したかった。
2 二人が出会うことで、主人公が成長すればいい。
3 最後は「これ、ハッピーエンド?」って思ってもらいたかった。
うまくハマったでしょうか……

現場からは、以上でーす。

サポートいただけると、明日への励みなります。