![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/35697559/rectangle_large_type_2_6e5d89c2482bbcdc563aa1d9d975c9f5.jpeg?width=1200)
「生きる意味」とはなにか
孔子は言った。
「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」
三十代、四十代で自己を確立し、五十で天命、すなわち自分が生まれた意味を知ったと。
ここで孔子が言う「生きる意味」とはなんだろうか。
ーー
近代の知識をもって「生きる意味」を考える時、そこに論理的な思考が入る余地はないだろう。
そもそも現代生物は複製する能力に秀で、生き残ってきた遺伝子が次代に自身の複製を残すために発現させた乗り物である。自己の遺伝子を複製する以外に「生きる意味」はありなどしない。
いま生きている事自体が、偶然の遺伝子発現の結果、偶然の環境適合の結果に過ぎないからだ。
けれども、現代のヒトは「生きる意味」を模索し、苦悩する。
ーー
そもそも、現代のヒトが苦悩する「生きる意味」とはなんだろうか。
上述のように「生きる意味」などあるはずもないのに、ヒトは漠然と日常を過ごしているときのふと襲いかかる漠然とした不安、自分は何故ここに存在しているのかと足元から崩れるような感覚を覚える。
これらを払拭するように、私たちが「生きる意味」、はたまた「世界に存在する意味」を言葉として紡ごうとする。
ーー
ヒトは相対的にしか、自己を認識することができない。
まだ自身の狭い視野で見た世界しか知らない若者たちが自己を考えたとしよう。まず彼らは自分の位置を絶対化し、自分を中心として世界を構築することだろう。まるで天動説を盲信したかつての人々のように。
しかし、その構造は非常に不安定である。
彼らの触れる世界が広がるたび、増える周囲との相対関係の上で、中心にあると疑わなかった自己位置の辻褄が合わなくなっていく。
やがて自分を絶対的として置いた価値観は、矛盾を抱えきれず崩壊を迎える。
ーー
そのような経験を得て、ヒトは次第に自己を周囲との相対関係から探るようになっていく。
・他者との対話を通じ、自分以外の視点から見える世界に触れること
・本を読み、多くの人の思想に触れること
・旅でその土地の歴史に触れそこにいた人々の設計思想に触れること
このような経験を通して得た様々な視点を用いて、世界から自己が存在するであろう範囲を絞り込むための言葉を紡いでいく。
これが世界における自己の存在、すなわち「生きる意味」を探るプロセスである。
ーー
では、孔子が言う『「生きる意味」を知る』とはどのような状態を指すのだろうか?
上述のプロセスを経過し、ヒトは自己輪郭を見る角度、削り出す手法を増やし、徐々に自己を認知していく。そして積み重ね、精度が上がるほど、それはやがて確信へと変わっていく。
この自己を確信し、自身を納得させる言葉を紡ぐことが出来た瞬間。この瞬間にヒトは「天命を知る」のではないだろうか。
50年かけて自己を紡いでいく。そう考えると一見ハードルが高そうだが、自身が納得できればいい、その判断は自分の裁量の範疇だ。そう思うと多少肩の荷は減るだろう。
ーー
天命を知った後の人生はさぞ楽しかろうと思う。なにせ何をするにしても「天命」が行動を肯定してくれるのだ。
早くその瞬間を迎えたいと強く思う。
ーー
○ この文章を紡ぐまでに影響を与えた本一覧