【短編小説】ベルファストの怪 2/2
(1/2からの続き)
北アイルランド紛争の跡を巡るというちょっと重たいテーマの観光ツアーは、午前11時に議事堂前に集合とのことだった。
信一がツアーを予約した民泊サイト上では信一の他に1人しか予約が見当たらなかった。SNSは進化したもので、その参加者がどこのだれだかクリックするとわかる。イギリスの南の方の地方都市在住のコンサル業の50代の女性だった。季節外れの11月上旬、観光客も少ないのかなと思う。
寒々とした冬の空のもと、時間どおり議事堂にいくと目印の緑のバックパックのガイドのマイクを見つける。初老、まだ元気そうだが70前後だろうか、ひょろっと背の高くて、毛糸の帽子に眼鏡をかけていた。
ツアーは民泊サイト以外でも募集していたようで、ぱらぱらと2人、3人と参加者が集まってきて総勢10人くらいのツアーとなった。
マイクが皆に受信機とイヤフォンを配る。信一には初めての体験だったが、昨今のツアーはこうした無線受信が普通なんだろうかと思う。ガイドが大声を張り上げなくていい仕組みだなと感心する。
マイクが電話交換手みたいなヘッドセット付のマイクロフォンをテストして、皆に聞こえていることが確認されると、2時間のウォーキング・ツアーが始まった。
ちょっと癖のあるキャラのマイクが簡単な自己紹介をする。ベルファスト生まれで、カトリック側の住居地で育った。大学はロンドンに行って、ミュージシャンを目指したりもしたが30代にベルファストに戻ってきて、以来ベルファストに住んでいる。ツアー参加者の出身を聞く。イギリス人6人、アメリカ人3人、日本人1人。
イギリス人参加者は20代から50代まで年齢層が幅広かったが、マイクが聞く。「イギリスからのご参加で、この紛争についていろいろ聞き知っている人はいますか?」
皆、ちょっと首を振る。マイクがにこっとして言う。「いいんですよ。あまり知らないからツアーに参加してくれたんだから。追って、歩きながら、この何十年も続いて、3000人が死んだと言われている紛争について説明できればと思います」
「まず、結論めいたことを言ってしまいます」マイクが言う。
「北アイルランド紛争が、カトリックとプロテスタントの争いだったとか、英国とアイルランド派の争いだったとか説明する人がいますが、それはそうなんだけれど、理由はどうあれ、重要なのは、深刻な社会の分断化が起こってしまったというのが俺なりの解釈。
同じところに住んでいる住民の間で、Them against Us 、『彼らと我々』という意識の分断化が起こってしまった。それに暴力も加わってエスカレートして、長期化してしていった。社会が分断され、殺伐として荒廃していった。それがこのトラブルズの本質」
11月第2週の土曜日で、ちょうどその週の水曜日に米国で選挙結果が出てトランプ圧勝が伝えられていた。マイクがアメリカ人のほうをちらっとみて続ける。「分断ということだと、あなたたちの国でも大変なことになってきてますね」。アメリカ人は否定せず寂しそうにうなずく。
「世界には人種間の分断とか、社会階層の分断とか、いろんな対立構造があるわけだけど、このベルファストでは、まあ人種っていっても、紛争の両サイドどっちも同じようなアイルランド人なんだよね」マイクは自分の腕をまくりあげてみせて言う。「こんなような肌の色で、まあここの住人ならみんな一緒。見かけだけではどっちの側なんだかわからない」
「まあ、そんな紛争も一応1998年の合意で和平合意となったとされている。ほら、この記念碑をみてください。あ、アメリカの方、クリントン大統領っていろいろ在籍中にスキャンダルあったりしてそんなに尊敬されてないかもしれんが、彼はね自分もアイリッシュ系だったということもあったけどこの1998年和平にはかなり圧力をかけて、ある意味かなり尽力してくれたんで、ここに名前があるようにベルファストではそれなりに評価されている」
「紛争の間、パブに爆弾がしかけられたりが何度もあったし、英国派の政治家が誘拐されて殺されたり、デモ隊に英国治安部隊が発砲したり、ありとあらゆる暴力が日常茶飯事になっていた。テロ行為、軍や警察による制圧、若者の間の喧嘩沙汰。ここ、この大通りのあのあたりに軍がマシンガン、手で持つ奴じゃないよ、あの台にのっかってる何千発も連射できるやつでデモ隊を蹴散らかしてたこともあった」
「この辺りはどちらかというと労働階級の低所得者の住宅地域なんけど、いま歩いているこっち側はカトリック側。当時の政府は、カトリック側とプロテスタント側との暴力沙汰のいざこざが多いからと言って、その住宅地区の間にどんどんごっつい壁を作っていった。それが、和平後にピース・ウォールと言われている壁のこと。ここらへんの建物の壁にも、パレスチナ支持とかいろんな絵が描かれているけれど、ピースウォールはここからゲートを通ってプロテスタント側に行って戻るときに一部が見えます」
一行はダウンタウンから歩いてきた大通りを右折する。するとそこに住宅地を分断するゲートがあった。
グラフィティで埋め尽くされた、ちょっと刑務所の塀みたいな高い塀に囲まれた通りの途中にそのゲートはあった。
「こんなもう不要となったはずのゲートがまだあるんだよ。つい先週のハロウィーンの時の週末も、夜はこのゲートが閉じられていたよ。たんに若者が酔っぱらって騒ぐだけなのに。まあ喧嘩くらいあったとしても、武器なんてもう持ってないのにね。警察はまだそんな感じだ。なにかにつけてまだゲートを閉めてる」
「そしてこちらがプロテスタント側。どうです?あまり違いはないでしょう。あれ?あれはやばいな。あの奥のところの住宅にみえる旗、あれはユニオニストつまり英国統一派の旗だな。ああいう対立を煽るような旗とかは昨今禁止されてるはずなんだが」
その横の通りをぬけると、壁はあった。壁というか、コンクリと鉄格子の塀であったが。
「これが有名なピース・ウォール。観光客はここに来て写真を撮っていくけど、紛争が激しかったころは住宅地がこれで二分されていて、行き来するのに検問所のようなゲートを通らないといけない時代があったんです」またアメリカ人に顔をむけて言う。「メキシコとの間に壁を作るって言うのはどうなったんでしたっけ?」アメリカ人達は苦笑する。
「まあ、どんな国にも、サイコパスというか、暴力や人殺しが好きな奴っているもんで、そいつらが紛争を激化させたりする。戦争だっていっしょだね、戦場にいったらそういう奴らが喜んで民間人をレイプしたり人殺ししたりする。紛争が激化していた70年代とか80年代とかひどい時代だった。俺の同級生も何人か犠牲になって死んでいる」
「ユニオニスト側にね、ブッチャー、屠殺人と呼ばれてた連中がいてね、奴ら見せしめに人を殺しては印として首を屠畜ナイフの大きい奴で切り裂いていた。もうサイコパスとしか言えないね。そういう奴らがはびこってしまうのが紛争とか戦争とかなんだよな」
マイクは急に笑顔になって言う。
「暗い話ばかりで申し訳ないね。でもそんな頃、ミュージックシーンではね、けっこういかした音楽が北アイルランド発で生まれていた。ちょっとそれをこのマイクロフォン経由でお聞かせしましょう。これ大ヒットした、The Undertones で "Teenage Kicks" 」
信一たちがつけていたイヤフォンから、昔どこかで聞いたことがあるような、ポップながらちょっとパンクっぽい音楽が大音量で流れてきた。
「どう?いいでしょう。殺伐とした絶望から生まれた新しい音楽」
(このベルファスト映像のインスタ・リールに流れている曲)
「さあ、ここからはまたカトリック側に戻ってこのツアーもあと30分ほどとなります。さて、そうした紛争、殺し合い、憎みあいがどうやって和平へと進んだかについてちょっと触れておきましょう。あくまでも私の個人的な解釈ですけれども」
「やはり、何十年も続くと、もうたくさん、でも自分はこの土地を離れられない、だからどうにかして共存していくしかないと思い始める人がでてくる。知人や友人、もしかしたら家族が紛争で犠牲になって深い憎しみが残っていても、どうにかやってくしかないと思い始めてくる」
「そして、これは俺のほんと個人的な意見なんだけれど、あまり理想ばかり語る奴らはだめで、なぜなら彼らは理想を求めて死ぬまで戦ってしまうから。妥協しない。もっと現実的な人たち、家族を養っていかないといけないおやじとか、床屋のおやじとか八百屋のおばさんとか。商売ネタをさがしている商売人とかね、そういう人たちが腰をあげて、いやいやながらでも商売のために歩み寄って、案外、それで分断はだんだん解消されていったりする」
「イギリス政府もね、ブレアの時だけど、英国軍の犠牲や財政的負担が長期化してたまらんと思い始めた。それでね、和平へと90年代の終わりに動いて、英国の予算つかって北アイルランドの経済復興へと動いたんだよね」
「それをビジネスチャンスとみた、双方の商売人がね、歩み寄ったんだよ。このツアーに参加してくれてるあなたがたのような普通のイギリス人が汗水たらして働いて収めた税金がここに投下されて、街がきれいになって、それがきっかけとなってここ20年くらい、爆弾騒ぎもないし殺しあいもなくなった。もちろん、ちょっとしたいざこざはあるけどね。すくなくともこうしたウォーキング・ツアーが平和裏にできるような状況になった」
一行は、小さな教会の前に着いた。
「これで、ツアーは終了です。なんで私がこのツアーをやっているかって?それは仕事としてお客がきてくれるからやっているんだけれど、その理由というか、聞いて気分を害される人もいるかもしれないけど、最後にひとつだけちょっとショッキングなことをシェアしてこのツアーを終えたいと思います」
「高校生のとき、同級生が誘拐されて殺されたんです。別に政治活動をしていたわけでない、ごく普通の高校生でちょっとした友達だった。ある日、死体が発見されてね、学校の近くだったもんだから、俺ともう一人のそいつの友人で死体を確認に警察に行った」
「警察は詳細は語らなかったけど、あれはブッチャーの仕業だった。みせしめのようにカトリック側の普通の住民を殺す、サイコパスな奴ら。みなさん、死体の傷って、死後1日とかたつとどんなになるか知ってますか?傷口なんですが、首を切られてたぶん動脈から血がどくどく出尽くしてその跡。喉首を裂かれた傷」
「ジップロックのチャックみたいな、真っ白な筋となって残っているんです。
あの光景は一生忘れられない。。。そんな強烈な光景の記憶があるんで、それを伝えたくて、このツアーのガイドを続けているんです」
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(この小説はフィクションで実在の人物は関係ありません。小説内での発言も大半が実際の見聞にインスパイアされた著者による創作によるものです)