イギリス人だと思っていた奴がウェールズ人だと言うし、最後に悲しい別れがあった話
人生、つくづく、思ったようにいかないものだなという話。そして、時には、不幸が不幸を呼ぶような悲劇に翻弄される家族がいるんだなあという話。
10数年前に、シンガポールで当時5才くらいのうちの息子が行っていたインター校の同級生のイギリス人の男の子がいた。家が近かったので、BBQでもやりましょうと2家族で会うことになった。
息子の同級生は、カールした茶色の髪の毛の、スポーツマンですがすがしい感じのいい子だった。オーウェンというのでOwenだと思っていたら、Owainと書くという。3人兄弟で、真ん中の女の子はケリーCeri、一番したの家の娘と同い年の女の子はリアノンRhiannonという名前だという。へえ、最近の英国人の名前はちょっとスペルも凝っているんだなと、アメリカが長かった僕としては、これって日本のキラキラネームのような流行りなのかなとか思ったりした。
BBQは、うちで用意した肉と、彼らが用意してくれたサラダとかもろもろのつまみで、英国人ならガンガン飲むだろうとビールとかウィスキーとかワインとか用意していたら、小柄でメガネをかけたおやじのGは、酒はあまり飲まないという。ワイン、1、2杯くらいと。大量の酒をくらって馬鹿騒ぎするのは嫌いなんだと言う。
こちらは酒大好きでシングルモルトは大の好物とか言う話を始めちゃったところだったので、ちょっと共通の軽い話題をはずしてしまった感があった。さて何をしゃべろうか。
おかあさんのRは、物静かで、真面目な人で、子供のしつけに厳しい。3人の子供が騒いでたら、かなり厳しい口調で怒りつけていた。でも笑顔がやわらかい、優しい人であった。若い頃に文化人類学かなんかの研究でブラジルにいた事があるというので、それはそれはと膝を打ちブラジル話しようとしたがあまり盛り上がらず。
といっても、しらけたパーティだったというわけではなくて、土曜の昼下がりののんびりした中での、いい時間だった。ひょうひょうとしてて、はでなことはなく地道に生きていますという家族。とても好感が持てた。
*
たしか、こちらが昔は中南米関係の仕事をしていた、キューバに行ったことがあるとかいう話題のときに、だんなのGが言う。
「(僕もキューバに行ったことがあるが、とても感心したのは、彼らの教育レベルが高かったこと。
普通のタクシーの運転手が、こちらがUKから来てウェールズ出身だというと、
『ウェールズなら13世紀にイングランドに征服されて支配されてきているが、いつ独立する予定あるんだ?』と聞かれたんだ。あれは驚いたね)」
それを聞いて、この英国人が、ウェールズという地方出身ということがわかった。たしか、ウェールズって、UKの一地域だったか。ラグビーが盛んな。
さらに言う。
「(自分も、ウェールズの高校卒業してロンドンの大学に行くときに母親から、決してイングランドの奥さんをつれて帰ってくるなと釘をさされた。けど、Rはロンドンの大学時代に出会ったんだが、Englishなんだよね)」と、へへへと笑う。おくさんのRも、にやりとする。
さらに説明をしてくれる。「(うちの3人の子供たちの名前、全部Welsh なんだよ。スペルがちょっと違う。オーウェンはOwain、ケリーはCeri、リアノンはそのままWelsh的名前)」
正直、英国事情に疎い僕はその場で微笑みながら、頭の中の知識を整理しながら、想像を駆り立てる。
13世紀の征服。たしかあの島は、アングロ・サクソンが来る前からの原住民のケルト人が居た。独自の言葉を持っていた、でも今はかなりUKとして統合されてしまっている。
日本と韓国みたいな微妙な感じなのか。統合されてしまっているから、もっと複雑な感情なのか。それとも、血なまぐさい独立運動やテロ抗争もあった、北アイルランドとかスペインのバスクみたいなシリアスなものなのか。
のんびりした週末の昼下がりにする話題でもないので、だんだん、会話は子供たちの学校の話や、世間話に移っていく。
Gは若い頃はプロのサッカー選手だったという。小柄だし、ぜんぜんスポーツマンに見えないが、数年はプロとしてやって、今は、奥さんともども、英語の先生として大学で教えているという。
おくさんのRは、見かけからはまったくわからないが、中華系シンガポールの血が少しはいっているという。詳細は語らなかったが、ひいおじいさんの時代にシンガポールで住んでいて、その後帰国したが、今般仕事を得て戻ってきたんだという。
たしかにシンガポールは今でこそ中華系のような国となっているが、もともとは19世紀はじめに単なるマレー系の寒村だったのを英国人のラッフルズが港としての可能性に目をつけて現地のマレー系の王国から購入した島。
そこへ開拓のために、南部中国やインドからも移民を受け入れて都市として築かれ発展していった。英国の植民地というか、英国が購入してデザインして作った国であった。当地の博物館に行くとそこらへんの歴史がわかって勉強になる。
ある意味、アジアで唯一「移民がつくった国」。中華系、マレー系、インド系、ユーレシアン(欧州とアジアの混血)が織りなす多民族国家。第二次大戦中、2年ほど「昭南島」として日本の植民地だったこともあるが、その時は、英国協力者を処刑したり、英語の学校を接収して軍施設にしたりと、暗黒の時代だったようである。不思議にも、それをあからさまにこちらに言うシンガポリアンはいないが(一度パーティで、こちらが日本人と知らずにそういう話題をされたことがあり、ひとたびこちらが日本人とわかると、とても失礼したと恐縮された。恐縮してもらうことはないと思ったが)。
まあ、ゆるゆる過ごしたBBQでは、そんな大げさな話題はするはずもなく、ウェールズについてはあまり知識を得ることなく、他愛のない話題に終始して、子供たちはボール蹴って走り回って遊んでたり、我々はゆるゆるワイン飲んで、いい時間が過ごせた。あの頃の、いい思い出である。
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その後も、学校のイベントで会うと、アメリカ人みたいに大げさに挨拶するわけではないが、ニコニコと地味に笑いかけてくれる。一度、息子が小6のころに学校でなにか社会にかかわるプロジェクトをやれというアサインメントで、Owainといっしょに2人でやるという。
たぶん、おかあさんのRが奮闘してOwainをしていろんなところに電話をかけさせたりして、結局、小6の2人が身体障害者のバスケの団体に会いにいって話を聞く、そして、バザーを2人でやって集まったお金をその団体に寄付するというプロジェクトにしたてあげた。Owain家のコンドの1階でのバザーに1日付き合ったが、けっこうご近所さんがものを買ってくれて、お金も集まり、なかなかいい企画だった。うちはおんぶにだっこみたいなことになったが。
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そして月日は過ぎ、5年ほどしたら、3人の子は転校となる。理由はよくわからないが、シンガポールの別の学校にいくこととなる。それで、付き合いは疎遠になった。
さらに数年たった2016年頃、1通のメールをRから受け取る。
長い文章で、一家はシンガポールを離れて、英国に戻ることになったことを伝えてくれている。
Owainが、珍しい種類の血液の癌にかかったことがわかり、英国で治療することがよりよいという決断となったと。
また、ショッキングだったのは、2年前におやじのGが自動車事故にあって、脳を損傷してしまい、ちょっとおかしくなってしまい、学校で教えることもできず、とくに息子が癌になったという事実をうまく受け止められなくなったと書いてある。彼の人格が消えてしまったようだ、とも書いてある。
The kids have suffered a lot because of it too and have been very brave and positive. この2年間は3人の子供たちにとっても辛い時期だったが、彼らはとても強く、前向きにそれに向き合ったと。
おいおい、水臭いな、そんなことがあったなら話してくれよと思ったが、さらに長文を読み進めると、息子はラグビーに熱中していたので、シンガポールのラグビー仲間の家族たちが、この辛い時期に彼らを支えてくれたと書いてある。
さっそく電話すると、もう来週には引っ越し終えて2日ほどホテル住まいしてから帰国するというので、ホテル住まいのときに家族でお別れをしに会いに行った。
おくさんのRは、気丈に振る舞って、笑顔も浮かべていた。いろいろあったけれど、おかげさまで、私達は元気です、といった感じで。
Gは?と聞くと、すでに1年以上前に英国に帰っていて、彼の実家にいて治療を続けているはずという。2人はすでに離婚が成立しているという。
それは知らなかった、Gにも会いたいねというと、
「(今、会ったとしても、彼という人格がもういないと思う。事故の怪我が彼の人格の大事な部分を奪ってしまって、もう戻ってこない)」と、寂しそうにつぶやく。
*
今朝、Noteでウェールズについて書いた人の文章を読んだら、連想でたてつづけに、記憶の断片やら、思いやらが湧いてきた。それをそのまま書いてみた。
昔、たしか、土居良一という作家が「テ・キエロ・アオラ」という、日本にいる外国人とくに日系ペルー人との出会いと騒動を書いた短編の小説を雑誌で読んだ。とてもいい話だった。たしか最後がこんなので終わっていた。主人公の日本人が、いまでも夜寝れないとき、その頃を思い出して、地球儀を思い浮かべる。夜に浮かぶ地球。世界に散らばってしまったその知人たちの住んでいるであろう都市に、薄暗く明かりを灯して、それがひとつづつゆっくりと消えていくのを思い浮かべる。それで主人公はやっと眠りにつける、といった内容だったと記憶している。
なんだか、今晩は、寝る前に英国あたりの地図を思い浮かべて、ロンドンの西のはずれのほうのウェールズのどこかの地方都市に光を灯して、そこにGやRや子供たちが住んでいることを想像しながら、それがゆっくりと消えていくのを見守って、それで静かに眠りにつきたい、と思う。
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