カラカスの地下鉄 エンメトロノセコメ
僕にとって人生で一番うまかったイタリアンは、本国イタリアでもなく、イタリア料理屋がしのぎを削るNYでもなく、そして、かなり水準の高い東京、でもなかった。それは、ベネズエラの首都カラカスのレストランだった。
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1994年頃に、ベネズエラに出張で行ったときに、ベネズエラの取引先のアレンジで、カラカス市内のイタリアン・レストランで会食があり、メインにはオッソブッコを頼んだのだが、これがあまりにも美味くて絶句。
オソブッコは、子牛のすね肉の煮込み料理。その時食べたのは、かなり煮込んだ感じで、骨付きででてきた肉の骨の中には、煮込まれてトロトロになった骨髄がはいっていて、小さいスプーンですくって食べた。
それまで数回だったが食べたことのあったオソ・ブッコとは別格、味付けもコクがあって全然しつこくなく、おかわりしたいくらいだった。
あまりに美味いので正直驚いていると、ベネズエラの取引先が「オイルブームの70年代に世界中から一番いい店を誘致したその結果ですよ」と言う。
たしかに、石油輸出国ベネズエラ、80年代にはいっての原油価格下落があって以来は対外債務危機に陥っていたが、70年代には繁栄を謳歌した時代があった。まあ、バブル経済で、世界中の美味いもの、いいものが、オイルマネーで集められた。その、名残りだった。
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実は、ベネズエラは中南米では珍しい二大政党制の比較的安定した民主主義国家だった。70年代に近隣のブラジルとかアルゼンチンとかが長期軍政となる中で、石油輸出からくる富もあり、国民への医療や教育の提供も手厚く、報道の自由がある、民主主義の市場経済の国だった。
それが、過去のたった20年くらいで、国家の破綻といってもいいような状況になってしまった。
数字でみたら、最貧国の部類にはいってしまうところまで転落してしまった。まあ、シリアという国も中東ではそれなりに豊かな安定した国だったのがあっという間に戦場と化してしまったように、転落はいったん始まると容赦なく早い。ベネズエラは、戦争がおこったわけではないが、内紛と外からの経済制裁でぼろぼろになってしまった。
90年代には、ベネズエラの石油公社が米国南部のガソリンスタンド網も買収したりして、米国に安定的に原油を輸出していた。資源も原油以外にもボーキサイトやら、鉄鋼やら、オリノコ川のタールから原油がとれる可能性があったり、豊かな国だった。
NYでの知り合いのベネズエラ人もいいやつが多くて、日本の銀行に勤めていてとくに仲がよかった知り合いはNYでの結婚式に呼んでくれて、それで気さくなベネズエラ人にたくさん会えて、いい思い出だった。さすがに繁栄のピークの70年代からは80年代の原油価格下落もあって経済は徐々に悪化していたが、まだまだ、当時は中南米の優等生の経済だった。
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いま振り返ると、じつはすでに2000年代以降の混乱に至る歴史の流れがそのころ既に始まっていたようだ。99年以降大統領として社会主義化を進めていったチャベスが、92年の軍人のころにクーデター未遂事件を起こしていた。当時から、経済力をもった中間層より上の層と、生活が日に日に悪化していたそれ以下の貧困層との2分化が進行していて、貧困層の不満が高まってきていた。
チャベスが大統領になって、親キューバ・反米をかかげて、20年がたった。2013年に彼がガンで死去した後に副大統領から大統領になったマドゥーロも同じ路線を継承して、アメリカは徹底的な経済制裁を実施。ここらへんはご関心ある方はグーグルしてみてください。相互依存の現代、主要国に経済制裁をうけると国家というのがいとも簡単に崩壊していくのが怖いくらいわかる。
インフレ率が年100万%に達し、人口の半分以上が極端に貧困な生活を強いられ、市民の9割が家族に十分な食べ物を与えるお金がないという。人口の1割以上にあたる300万人ちかくが、すでに欧米や近隣のコロンビアやブラジルに脱出している。そういえば、ここ2週間、クラブハウスで話したベネズエラ人5人は、すべて、マイアミ、ニューヨーク、マドリッド、ロンドン、ブラジルと国外脱出組だった。
これ、ベネズエラの原油生産。2015年以降の米国の経済制裁のあおりをうけて、生産量が3分の1まで低下している。
これ↓反チャベス側からの視点だけど、過去に起こった流れをうまくまとめている(一部、有料購読か、失礼)。
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それで、本題というかタイトルの、カラカスの地下鉄の話。これが書いておきたかった旅の想い出。
出張したときに、できたばっかりという、カラカスの地下鉄の新路線(3号線)にちょっと乗ってみた。2駅くらいだけ、乗ってみた。工事には日本企業もからんでいたんだったかな。いま調べたら、地下鉄自体は80年代からあったようだが、94年に3号線が加えられたと書いてあった。今では6路線あるようだが果たして動いているのか。
その新設3号線、乗ってみると、できたばっかりで、えらくきれいだった。平日の昼間だったがけっこう混んでいた。
立って乗っていた僕の目の前に、ちょこんと座っていた小学校低学年くらいの男の子とその母親の二人連れがいた。
男の子が紙袋からクッキーみたいなのをとりだして食べようとすると、母親がそれを制して男の子に言っているのが聞こえた。
"En el metro, no se come" (エンエルメトロ、ノセ、コメ。地下鉄で食べ物を食べる人はいませんよ)
男の子はすんなり、クッキーをひっこめた。それで神妙な顔で、地下鉄に乗っていた。たしかに、地下鉄にはゴミひとつなく、地上の猥雑さみたいなものとは無関係の秩序があった。
それで、NYに戻って、知り合いのベネズエラ人女性と雑談していたときのそのことを言うと、彼女は笑って言った。
「カラカスの街なかの道とかはゴミを捨て放題だったり汚いのに、なぜか地下鉄は前からそうなのよね。何故かしらね、可笑しいでしょ?」
あの、地下鉄、いまはどうなっているんだろう。
(タイトル写真はベネズエラには無関係。シンガポールの夕方の風景)
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