老牧師と殉教者
Amy Winehouseという英国のシンガーについては、彼女が2011年に自殺してかなりたって、最近になって知った。恥ずかしながら、それまで彼女のことは知らなかった。
1年くらい前、ブルースバンドのリハで、管楽器おやすみの曲で、シンガーとリズム・セクションが彼女の "Back to Black"を練習していたのが良かったので聞くと、もう死んでしまったAmy Winehouseという歌手の唄だという。さびのメロディがせつない。
それでいくつかYouTubeで彼女の唄を聞いていて出くわしたのが、この、トニー・ベネット御大とのデュエット。
誰が企画したのだろう。トニー・ベネットがLady Gagaとか若い歌手とのジャズ・ボーカルのコラボを活発にやっていたのはしっていたが、この女性歌手とも歌っていたのは知らなかった。Amyが自殺する前年くらいか?
Amy Winehouseの唄は、痛々しい。Jazzでも、Billy Holidayという物憂げな声で唄う大御所がいたが、もっと現代的で憂鬱で赤裸々な声。もしかしたら、自分には読み取れないが、彼女と同世代の人たちにはわかる、「力強さ」みたいのもあるのかもしれないが。若いのにタツーの数だけ人生で苦労を重ねてきて、破滅型で、攻撃的なアイラインの濃い化粧で内部の繊細さを隠しているといった感じ。
鬱になったり、自死するアーティストは世の中に沢山いるが、なんだか、彼ら彼女らは、世間の辛さを一手に背負ってくれて、そのおかげで大多数はどうにか生きながらえているんじゃないかと、ときどき思う。人類の原罪をひとりで一手に背負ってはりつけで死んでくれたキリストのような。
それで、彼らはキリストみたいに奇跡の復活はなくその壮絶な生を終えたりするのだが、こうしたビデオとか録音とかの作品で、死後も、ちゃんと姿を残して生きていて、我々を支えてくれる。こういう生きていく辛さを一手に背負っていってくれる人たちがいるからこそ、彼らのおかげで、駄洒落とか日々へらへら言ってビールを飲んで酔っ払って過ごしていても平均寿命を全うできそうな僕のようなのが存在できているという、そんな世の中の仕組みがあるんじゃないか、と時々思う。
それとも、彼らは、炭鉱のカナリアみたいに、汚れてきた空気のリトマス紙のような存在なんだろうか。世間の風通しが悪化して空気が淀んで、そこにいたら病気になって死んでしまうのを、いちはやく教えてくれる。その唄を聞いて、我々普通の大人はどうにかしてその悪い空気から若者たちを救い出して、あるいは、その悪い空気の根源を正しに動かないといけないという仕組みなのか。
デュエットのビデオでは、トニー・ベネットは悩める若き信者の懺悔を聞く牧師のような優しいまなざしでパンク・ファッションのエミーを見守って、歌い始める。「なにか悩み事があったら聴きましょう」と老牧師は語り始める。不良娘のエミーはそれを受けて、懺悔を始める。と妄想したら、ほんとにエミーは一節唄うと、ささっと胸の前で十字架を切って自分のペンダントにキスをしている。思い切って懺悔の言葉をはきだした後のように。
そして間奏の後、最後のエンディングのフレーズは、エミーがメロディをトニーが例によって上の方からハモって、曲を終える。
このBody & Soulの元の歌詞自体は、片思いの、あなたに惚れて私は身も心もあなたのものといった内容で、全然、教会の懺悔には程遠いんだが、トニー・ベネットとエミー・ワインハウスが唄うとなると、慈悲深い老牧師と罪深き信者に見えちゃうんですね。そしてエミー・ワインハウスの悲劇を知ると、はたして、トニーは悩める信者を救えなかった聖職者だったのか、はたまた、エミーが単なる悩める若者でなくて世の中の苦悩を背負ってくれた殉教者だったのか、とかいろいろ考えてしまう。
たった3分だけど、奥が深いデュエットでした。