ミルトン・ナシメント
3年前くらいにSNSに書いた文章の焼き直し。
先週末、知人宅飲み会でラテンアメリカ系音楽にやたら詳しい日本人に出会う。アパレル会社のシンガポールの現地法人の社長さんだが、え、なんでと驚くほどそちらの造詣が深い。
ブラジルのMPB全盛期のカエターノ・ベローゾとかジルベルト・ジルとか、どサンバのエスコーラではどこがいいとか、サルサならルベン・ブラデスとかウィリー・コロンとか、懐かしい名前が続々出てきて、驚くばかり。世の中には同好の士はいるんだなあと。
当方もラテン系音楽にのめり込んでいたのが80年代から90年代のある時期なので、恐らく時代が重なっていたのが大きいと思う。
ブラジルの巨星、歌手ミルトン・ナシメントを東京で観た観ないの話になり、自分は日比谷公会堂で土砂降りの中で「シャマーダ」というアカペラの唄を聞いたと口に出しながら、あれっ、本当に行ったのだろうか、それともそういう解説のFM放送ででも聞いて行ったつもりになっていたのか、自分でも覚束なくなる。その人は、ミルトンといえばライブアンダーザスカイで、日比谷のそういうコンサートは聞いたことないと言う。お互い呂律が回っていない、酔っ払いラテンおたく談義。
雨にぬれながら、アマゾンのジャングルにこだまするような歌声を聴いた記憶があるのだが。思い違いかもしれない。
そういえば、20代の当時、5歳くらい年上の女性で、ブラジル音楽、特にミルトン・ナシメントが大好きな人がいた。飲みに行くと、いつもそんな音楽談義をしていた。
「ミルトンと同時代に自分が生きている、それ自体が奇跡のようなこと」なんて、ぽろりと独白のように、かなり大げさなことを言う人だった。
ショートカットの髪型で、すらりとして、凉しい目元で、優しい声で喋る、仕事はスペイン語の翻訳とかしている人だった。もちろん、こちらは淡い恋心をいだいていたのだが、取り付く島はないそぶりの中で、ラテン音楽談義をだしに誘うと、飲みに付き合ってくれていた。当然、ラテン系の料理屋が多かった。楽しそうにお酒を飲んで、楽しそうに喋っていた。それだけでもよかった。いまでも、当時好きだった曲を聞くと、あの頃の楽しい思い出とあの行き場のなかった鉛の重りみたいな想いが蘇ってくる。
グーグル検索のパワーはすごいもので、調べたら、日比谷野音で1988年にミルトンの土砂降りの来日コンサートがあったことは判明。
あるWebsiteの記載
「.....一番印象に残ったのが、1988年にミルトンが来日した時のケペルさんの思い出話でした。日比谷野外音楽堂で行われたライブはあいにくの雨。ラストの曲“カンソエス・モメントス”が終わり、メンバーが引き揚げたあともケペルさんをはじめ会場にいた日本の観客は合唱をやめず、雨のなか歌い続けたそうです。
その姿に感動したバンドメンバーとミルトンは、雨吹き荒ぶステージに戻り、コンサートの第二部を始めたのだとか。この体験はミルトンの心に非常に大きなインパクトをあたえたらしく、後に「日本人は止まらなかった!」と、遠い国で受けたライブの感動をいまだに語っているようです.....」
自分は果たして日比谷公会堂に行ったのだろうか。ミルトン好きの彼女を誘ったりしなかったんだろうか。そんなことまで、思い出せない。思い出せないので、妄想にすぎないのか。
こんな、ばらばらな、一部がたしかに事実で、あとは妄想がたっぷりの古い思い出だが、そうだ、もしかしたら、これをフィクションとして再構築したら、自分やミルトン好き彼女を雨の日比谷公会堂に登場させて、びしょぬれになりながらいっしょにこの曲を唄わせることは可能かもしれない。
なんとも都合がいい話だが、それも楽しいかもしれない。私小説もどきというか、創作の目的として、自分の強烈な思い出を再構築してそこに登場人物を配置したら、事実と違うおもしろい話が勝手に展開していくかもしれない。書き手はそれをただみまもるだけ、ということができれば、それはそれでいい。