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近未来SF連載小説「惚れ薬アフロディア」No.7-4  出逢い(4)

Previously, in No.1 - No.7-3 :


翌日、午後2時ちょうどに、一台のハイブリッドカーがホテルの前に止まった。

EU政府は2050年には温暖化対策で化石燃料の車両の全廃を目指していたが、2040年代にそれが経済的・現実的に達成不可能だと判ると、EVに加えて電気とガソリンの混合型のハイブリッド車の生産は良しとするとあっさり譲歩した。結局は、EVが依存する電力の発電での再利用可能エネルギーの割合を高めることに限界が露呈したのが2030年代だったのであった。

とりあえず電力駆動の車を普及させてしまって発電ソースは追って対応すればよいとする当初の大胆な政策判断であったが、後日思えば当たり前ではあったが、"well to wheel" つまり駆動の源泉がなにでそれがどう駆動へと供給されているかまでちゃんと考えると、駆動だけをEV化しても発電のほうで温暖化ガス問題の根本的解決にはなっていないことが明らかであった。

また、2030年代の飛躍的な生成型AIの普及も計算処理の増加からさらに電力需給を圧迫して、皮肉なことにやはり究極の「再生可能エネルギー」は人間じゃないかという議論が持ち上がり、人間が処理できる作業をなんでも電算機に頼るのはよくないとのAI神話への反省の時代でもあった。

人間は勤労してエネルギーを消費しても、ご飯を食べて家で寝れば翌朝には再生している、こんな万能な「再生可能エネルギー」はない、そんな自然回帰的な反省であった。

          *          *          *                                      

「朋美さん、お待たせしました」車から降りてきたリュイスがサングラスをとりながら日本語で話しかけてくる。

「え?ドクター・カザルス、日本語喋れたんですか?」

「さあ早く乗ってください。今日はいそがしですよ。ドノスティア観光、コンチャ海岸がみえる丘にフニクラで行てから、不思議彫刻ペイネ・デ・ビエント見て、午後7時からピンチョス街のアステレナというおいしいバスク・レストランのテーブル予約あるんです」

「え、スペインって、夕食は遅くて夜10時からって聞いてましたけど」

「それは昔ね。ここは勤勉なエウスカディア(バスク)共和国だし。21世紀にはいってから50年くらいは夕食は普通7時くらいから食べてるんですよ」

車の中で会話が続く。

「ていうか、先生の日本語、とても自然すぎる。日本に留学とかしてたんですか?」

「先生はやめてください。リュイスと呼んでください。朋美さん、でいいでですよね?」

「はい。朋美だけでだいじょうぶです」

「日本語は、若い頃にボウリンゴ・アプリとスポーツ・アニメ映画で覚えて、10年以上前だけど親しい日本人の友達がいたんです」

「すごいなあ。私なんて日本語と英語で精いっぱいでウェールズ語なんてもう10年近く住んでるのにまだ全然です」

「カムリ、ウェールズ語は大変そうだ。バスク語もそうだけど。スペイン語とかカタルーニャ語とかイタリア語は発音が日本語に似ているから勉強しやすいと思いますよ、ぜひカタルーニャ語を」

そんな自己紹介をしていると、車はコンチャ海岸の西側の丘モンテ・イゲルドの下の住宅街に着く。

車を止めて降りて、古めかしい建物へと入っていく。

「よかった。まだ動いてる、この赤いフニクラ。小学生の頃、夏の家族旅行で来て乗って以来ね」

古めかしい前世紀のケーブルカーがまだ動いていた。二人が乗ると、木製の車両をぎしぎしいわせながら、フニクラは森の斜面をゆっくりと登って行った。5分ほど斜面に建った民家すれすれに登っていくと丘の頂上に着く。

するとそこには、素晴らしい景色が待っていた。ドノスティアのビーチと中世の街並み、近隣のピレネー山脈の山々、そして海側には遠くにみえる入り組んだ海岸線の景色が、まさに360度広がっていた。

「どうです?ここから見る海岸きれいでしょう。日本語でもリアス式海岸っていうんでしょ?リアスっていうのはスペイン語なんですよ。この辺とかガリシアに多い地形、谷がそのまま海に水没して作り出した複雑な海岸線」

「リアス、そうです日本語でも。うちの母方の実家が三重県なんですけど、祖父母が住んでた志摩っていう地域の風景がまったく同じなんです。おじいちゃんは『溺れ谷』とか呼んでましたけど」

「溺れ谷? un valle ahogado? 谷が溺れた、か。それ、川を意味するリアスよりおもしろい名前ですね」

二人は、丘の頂上にある古めかしい遊園地のような施設で、ジェットコースターに乗る。がたがた、スピードはゆっくりだったが、今にも壊れそうで、それがスリリングだと朋美は笑った。

「スペイン語でね、ジェットコースターのことは普通モンターニャ・ルサ、ロシアの山って呼ぶんですけど、これ何故か、モンターニャ・スイサ、スイスの山っていう名前になっているんですよ、ほらここに書いてあるように。

小学生の僕は父に聞いたんです、なぜ?って。

父が言いました。50年以上前の1970年代までスペインはフランコっていう軍事独裁者の時代があって、フランコが共産主義が大嫌いだったのでロシアという名前を変えさせたって。フランコは第二次大戦のファシスト政治の延長線で強権政治で中央集権を維持するために国内の分離独立運動を無慈悲にことごとく弾圧したんです。おじいちゃんが暗い時代だったってよく言ってました」

「そうなんですね。でもその後、ソ連も崩壊してロシアも共産主義じゃなくなったし、もうこれもロシアの山でもいいのにね」

「そうですね。名前が定着しちゃってたからか、それとも、そんな変な歴史を忘れないようにわざとその名前を使い続けているのかもしれないですね」

イゲルドの丘を曲がりくねった坂道をゆっくりと下ると、丘の真下の海岸に出る。

「これから面白いものを見せますよ。満潮近いし、今日は風が強いからいいな。じっと見ていてください」

海岸の岩場の突き出したところに、岩と鋼鉄で作られた風変わりなオブジェがあった。ペイネ・デ・ビエント(風の櫛)と書いてある。その横の海に面した石畳のスペースに石畳に5、6個穴があいている。

少しして、「ほら、来たぞ!」リュイスがそういうと、その穴からいっせいに水しぶきが噴き出す。水は大きなシューっという音をあげて、1m以上吹き上げる。海から打ち寄せる波が穴を通じて吹き上げるように設計されたモダンアートであった。

予期せぬ展開に、朋美は思わず飛び跳ねるように後ずさりする。ヒールで転びそうになるが、リュイスがうまい具合にそれを後ろから抱きとめる。二人は笑う。水しぶきで濡れた顔をみて、お互い、また笑う。

    *       *        *                                      

ピンチョス街の端の、川に近い路地に、そのレストランはあった。

「うれしいな。1997年創業のこの店が2053年の今まだやっててくれて。
2023年に家族で来た時もこのテーブルで食べたんですよ」。リュイスはバスクの白ワインのチャコリを朋美に注ぎながら言う。

「この白身の魚、なんだかわかりますか?」

「とても美味しい、メルルーサかしら。ソースも不思議な味、これまで食べたことのない味、これがバスク料理なのね」

「スペイン語でラペっていうんです、英語だとモンク・フィッシュだったかな。rape ってスペイン語、英語単語だとレイプだから強姦魔みたいでかわいそな名前だけど、これ、海の底にじっと待っててヒゲふらふらさせて小魚を呼び寄せて、パクっと食べるんですよ。呼び寄せて好きで来たのをパクっ。レイプと違う」と、リュイスは魚の物まねしながら説明する。

朋美は笑って言う。「あれね、あのちょっと間抜けな魚ね。日本語ではアンコウっていいます。肝がね、フォアグラみたいで美味しいの」

バニラアイスの添えられたチーズケーキのデザートを食べているとき、リュイスが朋美の顔をじっと見つめながらちょっと真面目な顔をして言う。

「朋美、真面目な話、個人情報、医療の情報だから言うべきでないけど、僕はあなたがアセクシュアルを自認していて今はアフロディアの接種でドーパミンの分泌量が増大していることを知っている。

僕の仕事はmRNAがそのドーパミン活性化を安全に起こす技術の開発であってそれが君の気持にどう影響しているかは専門外なんだけど、正直に言います。

昨日からほんの短い時間だけど、いっしょに過ごせて、あなたをちょっと知れて、僕のほうは、あなたにとても惹かれています。好きです。とても好きです。

測らなくても、自分の脳がドーパミンを今どっさり出しているのを感じることができる。

でも、どう考えても、これはフェアじゃない。惚れ薬につけこんで口説いてるようでもある。もし、もし僕とこれからもずっと付き合ってくれる気持ちがあるのであれば、アフロディアの接種を止めてもらって、それで付き合いたいと思うんです」

朋美は熱いまなざしでじっとリュイスを見つめ返して言う。

「いまは、あなたしか見えない。あなたに出会えた奇跡が、わたしのこの胸にあふれてる。もう空を飛んでいるような気持ち。会うべき運命の人に会えた。You complete me。あなたが、私の人生のジグゾーパズルで探していた最後のピース、そんな気持ちでいっぱいです」

リュイスはテーブル越しに、朋美の顔を両手で引き寄せると長いキスをした。リュイスのワイシャツにバニラアイスがべっとり付いた。

     *        *       *                                    

なにも語らず、レストランを出ると、二人ですぐにホテルのリュイスの部屋へと行く。

朋美はすでにすっかりと濡れていた。

リュイスはやさしく服を脱がせると、今度は荒々しく抱いた。

朋美の中に入っていくとき、リュイスはアルコールの酔いの頭の混乱とともに不思議な強い興奮を覚えていた。

不思議な妄想。かつて恋い焦がれたが応えてくれなかったアセクシュアルの女性、日本人のマリが、彼をついに受け入れてくれている。そんな思い。

今、彼のほとばしる気持ちを受け止めて自分も昇りつめてくれている、その人がかつて好きだった人のようでもあり、会ったばかりの朋美のようでもあり、誰だかもうわからない、でも、その誰かが自分を完全に受け入れてくれている。そして自分にたまっていたものをすべてはきだす。不思議な達成感、満足感、自分の生についての肯定感が体中に広がっていった。

仰向けになると、まだ火照った体の朋美を胸に優しく片手で抱く。

快楽の余韻に浸る女性、対照的に、性欲をはきだして醒めた賢者の時間に浸る男性。よくある組み合わせ。

醒めたリュイスの頭が思う。

会ったばかりで、もっとゆっくりした交流や感情の積み上げなく寝ちゃうなんて低予算のポルノ映画みたいだな。それとも、あれかな、10年以上前から引きずってきていたマリに対する自分の気持ちがやっと満たされたということなのか。俺はワルい奴にはなりたくない、誰にでも誠実に接したい、人を利用することはしたくない。でも、朋美はアフロディアが切れたら、恋愛や性的な関係に無関心になってしまうのだろうか。アセクシュアルに逆戻りなのか。。。

それでもいい。この人は大事にしないといけない、と本能が言っている。

「トモーミ、来月12月クリスマス休暇の予定は?」胸の上でリュイスが朋美の手を自分の手で捉えながら聞く。

「とくにまだ決めてないわ。どうして?」

「カタルーニャの葱って聞いたことある?」

朋美は首を振る。

「カルソッツって言うんだけど、形は日本にあるような長ネギみたいなんだけど実は玉ねぎの一種で特別にそういう形になったので、僕のおじいちゃんの故郷のタラゴナのバイスっていう村で冬だけ食べられる焼き葱があるんだ。うまいんだよね、焦げた外側をはずしてなかのトロトロのところを美味しいロメスコソースつけて食べるんだ。12月に1週間くらいバルセロナにおいでよ。いっしょに、バイスに行ってカルソッツ食べようよ」

「はい」朋美は答える。

「薬は、アフロディアの接種は、できればもうやめてほしい。君が変わってしまってもそれは受け止める。もうわくわくする恋愛はなくてもいいんだ、落ち着いた静かな信頼できるパートナーが欲しい。それが今の正直な気持ち」

朋美もうなずく。

朋美は思う。そういえば、皮肉屋で悪口ばかり言って、時に朋美に鋭い警告を与えてくれる、自分の別人格、ワル美、Evil Beautyが最近でてきていないわね。彼女なら、どう言うかしら。

リュイスを100%信頼できるようになったら、そう確信できたら、ワル美のことも相談してみよう。そう思う。

二人はその晩で一番濃厚で長いキスをした。

             *               *             *            

ソファに放り投げられてミュートにしてあったリュイスの携帯が、その時に一通のテキストメッセージを受け取っていた。リュイスのバルセロナのパデル仲間の日本人ナスからのメッセージだった。

「ドノスティアから戻ったら会おう。マリの消息がわかったんだ」

 ■

(No. 8  「アルゴリズム(カーディフ)」に続く)

今後の連載予定(あくまでも予定、変更ありうべし):
No. 8  「アルゴリズム(カーディフ)」
No. 9  「恋は盲目・愛は瞠目(タラゴナ)」
No.10 「邪悪な美(アムステルダム)」
No. 11   「絶壁の教会(ガステルガチェ)」
No. 12   「エピローグ」

この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとはこれっぽっちも関係ありません。医学的な知識はまったくでたらめで、SFなので政治的な内容はまったくの妄想で幾ばくかの根拠もありません。


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