連載小説「めしやエスメラルダ 」4 (後編) エリサへの鎮魂
(3) タブラ・デ・グイジャ コックリさん(後編)
おいおい、エリサの魂が戻ってきたなんて、エリサまで死んだことにするなよな、まだわかってないんだし、と平民はひとり思った。百歩譲って、死んだヤンくんの追悼でこっくりさんで対話してというのはいいとしてもな。
前月突然消息不明となったエリサについては、警察からも新しい情報もなく、語学学校に残っていたボリビアの実家にヘスースが連絡を試みたが、なぜか連絡がとれなかった。
ヤンもエリサも、あたかも架空の国から日本にやってきた架空の人であったかのように、存在する痕跡が突然消え失せてしまった。掴みどころが無く、不思議だった。
*
めしやエスメラルダでは、カウンターに立ってマルガリータを作っていたユカタンことユカが、そのカクテルを作る手を止めてバーのみんなに言う。
「あの、私、ユカタン半島じゃない下北半島出身のユカですけど、実は母方の親戚にイタコがいたんです。
あの恐山の霊媒のイタコ。それもけっこう有名な。
それで私も、これまで一度だけ、たった一度だけですけど、事故死した高校の同級生を降霊させたことがあるんです。うまくいったんです。私は憶えてないんですけど、友達たちはあれは彼女の魂そのものが喋っていたって。
ちょっとやってみようかな。
エリサちゃんなら、私も仲良かったし、できそうな気がする。それに、お酒で酩酊しているときにうまくいくみたいなんです。今日、けっこう飲んだし、なんかいけそうな気がしてます」
そう言うと、眼の前にあったテキーラのショットを更にぐいっと飲み干す。
そして、ふらふらとすると、その場に倒れ込む。
*
平民が、「ユカタン!だいじょうぶ?」とそれを支えると、ユカは目を開く。
「ここは誰?私はどこ?」
ちょっとたどたどしい外国訛のある日本語。
平民が指摘する。
「それ、70年代の記憶喪失ドラマをもじって、80年代にビートたけしやタモリが使ってたジョーク」
それを聞いてマルが顔を上げて言う。
「それ、オレがエリサちゃんに教えた昭和のギャグだ!」
するとエリサに憑依したユカがにっこり笑って、今度はシェフのヘスースに向かって続ける。
「ヘスース、ロシエント・ケ・デレペンテ・ジョ・サリ・シンアビサールテ」
平民は驚く。
ユカタンはスペイン語にまったく縁がなくてぜんぜんできないはず!自分は島根外語大スペイン語学部なのでちょっとはわかる。確かにスペイン語で「突然連絡せず去ってしまってごめんなさい」と言ってる。
カウンターで杯を重ねていたシンイチも、突然発せられたスペイン語に耳をそばだてるが、酔っていることもあり、とくに驚いてはいない様子だ。
エリサが今度は日本語で続ける。
「わたしにもなにが起きたかわからない、けれど、こちらに来てました」
ヘスースが優しく笑って言う。
「エリサ、なにも心配しないで。もどってきてくれてありがとう」
「ヤンのアパートに居て、突然、目の前が暗くなったとおもったら、コーヒーカップを2人でまわしていたんです。遊園地にある、乗り物のコーヒーカップ」
平民が驚き、顔を上げてみんなに聞こえるように言う。
「あ、それはエリサが大好きだった気鋭のアニメ作家山海眞の名作『タイムスリップ・コップ』のプロットじゃないか!
死期が近い主人公の難病の女の子と恋人が、花やしきのコーヒーカップで目をつぶってカップを回す、すると2年前の幸せだった出会った頃へとタイムスリップする。
実写映画化もされて舞台となったロケ地の花やしきでは、カップルが二人で念じて回せば一番幸せだった時にタイムスリップができるという名作の聖地伝説が生まれていた。【毎週ショートショートnote】工作員ヤンの潜伏記 8 タイムスリップコップにも出てくる!」
「エリちゃん、それでどこにいるのよ?どこへ飛んだのよ」
ボサノバ歌手のミエが問う。
すると、エリサに憑依したユカタンは、ンゴッと馬のように鼻を鳴らして、顔をブルブルと揺らす。
「ごめんなさい、変な音を出して。いまちょっと藁が鼻に」
「わたしたち、タイムスリップができた。一番、楽しかったわたしのボリビアの家でアルパカを飼っていた頃に、いっしょにとんできてるんです」
「ヤンと一緒です」
「でもね、いま、わたしたちがアルパカなんです。アルパカになって、アンデスの草原を走ってるんです」
*
酔ったシンイチがすくっとたちあがって手を挙げて言う。
「ちょっと感動的だけど、もうここらへんでやめませんか?
追悼って個人個人で自分の胸の中で故人と対話するもんで、言葉悪いかもしれないけどこんな形で集団ヒステリーみたいにやるもんじゃないと思うんですよ
ユカタンが急にちゃんとしたスペイン語喋ったり、なんか超自然現象的なんだけど、でもね、喋ってるのはユカでエリサじゃないし、どういう仕組かわからないけど、これ、故人に心を寄せてるここにいるみんながいっしょになって作り出している共通の幻想みたいなもんじゃないかと思うんです。
本当に、真剣に、話せるんだったら、ヤンが何故要人暗殺で命を落としたのかとか、エリサが誰に殺されたのかとか知りたいことは沢山あるのに、わたしたち、生まれ変わってアルパカになっちゃったんですはないでしょという感じもするし」
「シンさん、それは違うと思います」と、それまで静かだった、亜紀代が言う。
「私、持病が脳脊髄液の低下で、天気で低気圧のときとかすごく疲れちゃって点滴して寝てるしかないんですけど、今日、ヘススさんがヤンが来たって言ってこっくりさん始めたくらいからすごく調子がいいんです。
それでエリちゃんがユカタンで降霊した瞬間から、もう近年ないくらい絶好調な気分。マラソンも走れちゃうくらい元気。
霊なんだか魂なんだかわかりませんけど、とてもいいものが、善良なものが来ているのを強くここに感じるんです。脊髄が感じているんです。それは本当です。茶番劇じゃなく、そこに、なんらかの真実があると思うんです」
すっと手が上がって、ヤンの株式会社のおとの同僚の女性ユキが発言する。
「あの、私、最近、人生を考えるにあたって、物理学とくに量子力学の本を読んでるんですけど、それにこんな話があるんです。
我々の存在は原子に還元される物質的なものではなくて、それより小さな素粒子まで掘り下げると、我々というか、現世のものすべてが、量子のゆらぎだったり、波動にすぎないというんです。『ひも』のような素子からできてるという表現もあります。私達、いま生きて物質として存在しているようで、実は波動、ひもでしかなくて、それが時間も越えてパラレルに存在する世界とつながっているという考え。
量子物理学者が『ゼロポイント・フィールド』と名付けた空間があって、世の中の、全世界の、全宇宙の過去から未来までのすべての情報がそこにあって、ひもである我々はそこにつながることで存在すると考えると、これまで矛盾だらけだったいろいろな物理学の仮説がすっきり解けてくる。
それなので、こっくりさんであれイタコであれ、それは、ひもでしかない我々がその意識をそのゼロポイントフィールドに繋げる努力であって、それを集団で純粋な気持ちで試みるのは素晴らしいことだと思うんです」
「おれも、仕事にあぶれて、いまのかあちゃんにひも状態だったことがあったっけ」とマルがしみじみ回想してつぶやく。
場違いな駄洒落のようで、人の繋がりの在り方の真実でもあるようで、誰も笑わない。
酔ったシンイチはまだひとり斜に構えて、冷めた意見を続ける。
「ユキさん、あんたヤンの都々逸の先生でしたよね。まあね、量子力学で都々逸でも捻っててくださいよ。べべベンと。
死人に口無し、死人はもう土に還って存在しないの。
口無し口無し、クチナシの花は渡哲也の演歌、くちなしの花の香りが旅路(たびじ)のはてまでついてくるって歌詞だけど、匂いがしたからって霊が存在すわけじゃないの」
かなり酔っていて呂律も回っていない。言っている内容も支離滅裂になってきていた。
*
すると、ヘスースがまた、おやっという表情をする。
そして、とても嬉しそうな顔をして、めしやエスメラルダの部屋の中をゆっく見渡す。
深く呼吸をして、何かの香りを嗅ごうとしている。
不思議な事に、酔いが回って管を巻いていたシンイチの鼻にも微かにその新しい香りが届いてくる。
早朝の、霧が深くかかった森林の、これから朝が始まるというような、爽やかな香り。
「。。。フランキンセンス」
そう、富山から来ていた初老の女性藤田瞳美がつぶやく。
「昔スリランカ人の夫とやっていたアーユルベーダのスパで施術でよく使っていたアロマです」
その香りはシンイチの脳裡の奥深くに追いやられて封印されていた、遠い30年近く前の想い出を呼び起こしていった。
すると閉まっていたはずのめしやエスメラルダのドアがちょっと開き、小さな鳴き声が聞こえてくる。
「・・・みゃ~おぅ」
猫だった。
(最終章へと続く)