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『正義の行方』と『未解決事件 File.07 警察庁長官狙撃事件』を観て感じた“決めつけ捜査体質”について。

2024年4月公開の映画『正義の行方』。いわゆる1992年の「飯塚事件」を扱ったドキュメンタリー映画だ。

この映画、TV放送の時に、ただならぬ緊張感を感じ、3時間近い長編ドキュメンタリーだったにも関わらず一気に見てしまった。再放送がある度に録画して何度も観た。そして待望の映画版も観た。

結局、久間三千年元死刑囚は、無罪だったのかどうか??

この『正義の行方』の中で、個人的にとても引っかかる要素に、國松孝次警察庁長官が関与しているという点がある。事件当時、國松長官がDNA鑑定を行った帝京大学の石山教授に対して「先生の鑑定が出ると非常に困る」と言っていた事を、新聞社の記者がその後の國松長官に取材しなおして「(そう取られてもおかしくない)こちらにも弱い部分もある」と言質を取っているのだ。

石山教授は、当時DNA鑑定(MCT法※)の権威の一人。捜査にDNA鑑定を用いたい警視庁としては、飯塚事件でもその鑑定の有効性がある事を世間に知らしめようとしていた時期。

※MTC法は2024年現在、その有効性は認められていないDNA鑑定方法。

DNA鑑定を証拠に久間三千年を犯人に仕立て上げる為に、DNA鑑定の権威へ圧を加えれば、警察側の思うような、決めつけ捜査に導く事は、当時の國松警察庁長官の公権力を考えれば、容易に出来たのかもと想像してしまった。

そのように感じるように至ったのは、飯塚事件の3年後の1995年におきた「國松警察庁長官狙撃事件」を扱ったNHKスペシャル『未解決事件 File.07 警察庁長官狙撃事件』を、同時期に観ていたからだ。

NHKスペシャル 未解決事件 File.07 警察庁長官狙撃事件

「國松警察庁長官狙撃事件」は、オウム真理教の地下鉄サリン事件の直後に発生した事件でもあり、警察は【犯人はオウム】との決めつけから、真犯人を綿密に追う事をしなかった。『NHKスペシャル 未解決事件 File.07 警察庁長官狙撃事件』の再現ドラマでは、真犯人役のイッセー尾形と、刑事役の國村隼との、息をのむやり取りの名演技が、とても素晴らしく、一見の価値のある名ドキュメンタリーだ。

「國松警察庁長官狙撃事件」も「飯塚事件」同様に、真犯人は藪の中と言った様相だが、1992年から1995年当時の警察庁の捜査が、“決めつけ捜査体質”だったのではないか?と感じさせる。

どちらの事件も、当時世間を揺るがし、警察の沽券に関わる大事件だっただけに、体面を保つ為、犯人ありきのスピード解決に向け、杜撰な捜査をしていても不思議ではないと感じた。

『正義の行方』と『未解決事件 File.07 警察庁長官狙撃事件』。同時期に見た二つのドキュメンタリー。そのどちらも國松孝次警察庁長官が絡んできていて、どちらも未解決だったり、冤罪の可能性をはらんでいる内容だったので、決めつけ捜査や、でっちあげ捜査冤罪に繋がる警察や司法の対応は、あったんじゃないかと、ついつい推測してしまう。

そんな事を考えながら「飯塚事件」の再審請求が退けられたり、当時のすべての証拠を、福岡地裁や検察側が開示しない所を見ると、久間三千年元死刑囚は、もしかして無罪だったのではないか?と感じてしまう。

なにより、1992年に福岡県飯塚市の、幼気な二人の女の子の命を奪った、凶悪犯が他にいて、まだノウノウと暮らしている(その可能性が億分のひとつでもあるならば)それこそ、国、検察、警察、司法の沽券に関わると思うので、それぞれの利害や立場を超えて、白黒を徹底的にはっきりさせてほしい。

個人的には「飯塚事件」は冤罪の可能性があると感じているが、わたしもまた《警察は決めつけ捜査をする可能性がある》という事を決めつけている。これは禅問答のようだが、人間とは《決めつけ》をしてしまう動物なのである。

2024年9月
ルバル