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素晴らしき日々 考察1 ~BGMから見たすばひび~


 2025年にケロQが発売した『素晴らしき日々-不連続存在-』は15周年を迎える。ということでボクも何か書いてみる。

「いや~すばひびはシナリオもそうだけど音楽も良いんだよな。夜の向日葵は評価が高いしね。個人的にはLes Enfants du Paradisとか好き…あんまり評価高くないけど(苦笑)」

 
本作は特にウィトゲンシュタインから多大な影響を受けていることは間違いない。実際にシナリオライターも各所で言及しているし、多くの美少女ゲーマーもウィトゲンシュタインの著書を参考に考察している…私もその一人。

 だけど、いかんせんボクはLes Enfants du ParadisというBGMが好きだったのでその由来が気になって気になってしょうがなかった。もちろん他のBGMも良いのだが、やたら明るく機械的な音楽で、幸せそうに見えてメタ的に見たときに少々歪なところで用いられているこの曲に惹かれたのだ。そこから色々調べていくと…こりゃ考察の対象になるなと思ったので書いた次第である。

この考察は論考をベースにした『素晴らしき日々』ではなく、BGMの観点から重要だとボクが判断した寺山修司の思想から見る全く新しい『素晴らしき日々』を特に前半部分では展開していく(永遠の相なんてワケワカメ)。
そして後半では、ゲームの構造に関する考察と、(論考を代表とする)前期ウィトゲンシュタインの思想ではなく後期の思想(『規則のパラドックス』を中心に)から本作を見ていく。

 ただ注意して欲しい点があるとすれば、全く新しい視点から眺めた考察なので、この考察がボク自身も主題とは思わないという点だ。前期ウィトゲンシュタインの思想が本作の主題であるという点は疑いようもない。
言わば、本考察は主題ではなく作者が言及していない裏テーマを見ていくという事になる。 「ライターは本作の裏テーマとしてこんな事が言いたかったのではないのかな?」という事を主に語っていきたい(言わば、すばひびオタク向け)。

ちなみに、前期ウィトゲンシュタインの主な著作である『論考』や『草稿(幸福に生きよ!のやつ)』から本作を考察したブログや動画についは以下を参照して欲しい。

『素晴らしき日々』考察-この物語は、あらゆる人を救う物語
http://koyayoi.hatenablog.com/entry/2015/09/02/050606
【プレイ感想】素晴らしき日々 感想 - 考察 〜登りきった梯子を投げ棄てるために〜
https://lamsakeerog.hatenadiary.jp/entry/2018/07/18/005902#%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96
【素晴らしき日々】解説|永遠の相とはなにか?【ウィトゲンシュタイン】
https://www.youtube.com/watch?v=cyHdj57CDG4


やっぱ、美少女ゲーマーって頭良いなと思う(小並感)。ボクにはここまでの文才はないが、出来る限り分かりやすい文章を心掛けるようにはする…スルケド、『         』ノ言及デハボク自身狂ウ。アレハクルウ。
 嘘、でもウィトゲンシュタイン哲学って難しいなと思う。

今回の考察は、五部構成

1、BGMから見たすばひび
2、寺山修司『幸福論』からの視点
3、音無彩名は何者なのか
4、偏在転生等疑問・小ネタ
5、ただの感想とちょっとした幸福論

例によってかなり長めの考察になりますが、お付き合い頂けると幸いです。


1、BGMから見たすばひび

最初にボクが紹介したBGM “Les Enfants du Paradis”は、主に二つの意味で使われる。

 ・フランス映画『天井桟敷の人々』
 ・寺山修司主催のアングラ演劇『天井桟敷』の由来

フランス映画『天井桟敷の人々』
 一つ目は、マルセル・カルネ監督のフランス映画『天井桟敷の人々』(1945年公開)である。ボクは実際にこの映画を観たわけではないのだが、ウィキペディアのあらすじを見た限り、すばひびでも引用されている『シラノドベルジュラック』と比較的似ていると感じた。実際、この映画について作中にて一切の言及が無かったことからも、この映画は本作とはあまり関係はないと思う。

寺山修司が主催した劇団『天井桟敷』

 もう一つの使われ方は、寺山修司(1935~1983)が1967年に立ち上げた劇団『天井桟敷』である。結論から言うと、Les Enfants du Paradisはすばひびではこちらの意味で使われていると推測した。

寺山修司(テラヤマ・ワールドより)

そもそも寺山修司って誰よ?

 一言で言えば、無類の競馬好きのおっちゃんである(マジ適当)。以下、ちゃんとした紹介。

『寺山修司は、歌人であり、シナリオライターであり、映画監督であり、エッセイストであり、劇作家であり、舞台演出家であるが、たぶん、いま、いちばん力をそそいでいるのは、彼が主催する劇団「天井桟敷」の座付作者兼プロデューサーとしての仕事であろう』

(寺山修司『幸福論』解説)

Les Enfants du Paradisは天井桟敷の由来となっているが、寺山曰く、「(好きな演劇を好きなようにやりたいという)おなじ理想を持つなら、地下(アンダーグラウンド)ではなくて、もっと高いところへ自分をおこう、と思って『天井桟敷』と名付けた」とのこと。


『書を捨てよ街へ出よう』などの一連の著作により、若者の間で「退学・家出の扇動家」として認知され人気だった寺山が主宰していること、また劇団創立時のメンバー募集の広告が「怪優奇優侏儒巨人美少女等募集」だったことなどから、設立から長期間、個性的な退学者や家出者が大半を占めるという異色の劇団になった

(ウィキからの引用)

上記“怪優奇優侏儒巨人美少女等募集”はすばひびにてそのままの名で登場するホラー系BGMである。これは関連性がありそうだな…

また上記引用にも登場している通り、アンダーグラウンド(アングラ)は一つのキーとなっている。すばひびにおいてもアングラ要素がシナリオを形成していると言えるだろうから(例 学校裏掲示板・不良・違法薬物・暴○団・ゴシップ系雑誌記者・救世主と信者のたまり場・オカマバー等々…そもそもエ口ゲ自体がアングラと言えなくもない)。
 このことからも、寺山修司とすばひびは「実は関係あるんじゃね?」と思った次第である。

特に、“怪優奇優侏儒巨人美少女等募集“というBGMが使われているタイミングは考察の余地があるように思える。この点については後々紹介する事にする。

…ちなみにすばひびにおける他のBGMについても軽く触れておく。少年とナイフというBGMは『少年ナイフ』という実在する女性バンドから取られていると推測されるが、シナリオではナイフが重要なアイテムであることからそこから関連付けたのではないかと思う。FUR YOUミュージックは分からん(直訳すると『あなたの毛皮のために』…寺山の戯曲毛皮のマリーズでは…ないか)。

・BGMの心理学

ところで、美少女ゲームではおなじみのBGMにはどんな効果があるかご存じだろうか。ここでは主に四つの効果について簡単にだが紹介していく。

 1 マスキング効果
 2 イメージ誘導効果
 3 感情誘導効果
 4 プライミング効果

1 マスキング効果

 これは端的に言えば、外部の騒音をBGMによって隠してしまうという効果である。美少女ゲームに例えると、キャラの音声だけでは外の騒音(話し声や工事の音)によって集中出来ないという事態をBGMによって緩和しようとする効果だと認識してもらっていいだろう。

2 イメージ誘導効果

 例えばすばひびには『Tractatus Logico-philosophicus』というタイトルのBGMがある。直訳するとウィトゲンシュタインの著書である『論理哲学論考』だが、この本がどんなものか分からない人でもこの曲を聴けば無意識のうちにその本のイメージを掴めてしまう…「難しそうで不思議なイメージ…」これがイメージ誘導効果である。

3 感情誘導効果

 明るい曲やホラー系の曲を聞けば、楽しい気持ちになったり不安な気持ちになったりする。これは読者の方々にも理解して頂けると思う。制作側はBGMを用いて購入者の感情を「この場面ではこの感情、あの場面ではあの感情」というようにコントロールしているのだ。

(以上3つの効果は『BGMの心理学』https://www.otokan.com/musicpsychology/b-01.htmlを参照)

4 プライミング効果

 このようなBGMの効果はビジネスの場面でも用いる事が出来る。その代表例がプライミング効果で、提示されたプライマー(刺激)によって人の行動が変わることがその効果の内容である。
 例として、店内でフランスを連想させるBGMを流しただけでフランス産のワインが売れ、逆にドイツを連想させるBGMを流せばドイツ産のワインが増え、フランス産のワインは売れなくなる…というもの。
 ここで注目したいのは、フランスを連想させるBGMを流してフランス産のワインを買った人達の大半がBGMの影響を受けている事に気付いていない…という点である。つまり、無意識のうちにBGMによって感情どころか意思決定までもコントロールさせられているのである。(以上、『行動経済学が最強の学問である』206~208頁参照)

 恐るべきBGM…その威力と効果、無視できないと思いませんか?

・BGMの先駆者サティ~家具の音楽~

 そうしたBGMはすばひびにおいて、他作品と比較しても重要な意味を持つとボクは考えている。

 本作品では水上由岐・悠木皆守がピアノを弾くシーンでサティの曲であるピカデリー・夢見る魚を演奏する。サティは『音楽界の異端児』とも言われるように自由で革新的な曲を作っている事で知られており、その最たる曲は本作でも言及されている“家具の音楽”だろう。

この家具の音楽の登場は、『音楽は意識的に聴くもの』という考え方を変え、これがBGMの先駆けだと言われるようになる。つまりサティは《BGMの祖》であると言えるだろう。

Down the Rabbit-Holeにて由岐がざくろと激突してしまった世界線では、遊園地デートをした後にバーにて由岐がサティの曲を演奏する。
その際、オートモードではテキストウィンドウが演奏終了後に由岐が話すまでの間消えていた。つまりライターは、(サティの意思に反して?)意図的に聴かせたかったのだろう。

 普通のクラシック曲であれば「良い音楽だな~」で終わっても良いのだが、サティの曲をBGMとしてではなく曲として聴かせたところに、この作品におけるBGMの重要性を感じた。

 とは言え、BGMは背景音楽と言われる通り目立つことはない。美少女ゲームが発売された時に「よし、BGMを楽しむぞ~!」と意気込んでいる人をSNSで見たことあります?そんな人いませんよね。音楽が主題の作品でもないかぎり、BGMは基本的に主役にはならないのです…残念ながら。

 …そんな訳でBGMは美少女ゲームにおいてはあまりにありふれすぎていてほとんどの人は気に留めない。だからこそボクとしては、そこに意味を見出す姿勢も(他作品に比べたら)意味のある行為なのではないかなと思いこの考察を書いています。

次回に続く…

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