GANZOの二つ折り財布
noteを毎日書こう。
と考えたことはない。今5日ほど続いているから、少し意地になって書き続けているだけだ。
今日は朝から雨で、気圧の関係から頭痛がする。とはいえnoteは書かないといけない気がする。しかしネタがない。
というわけで「暮しの手帖」編集長、 松浦弥太郎による書き下ろしエッセイ「日々の100」の真似をして、自分が長い間使っているモノについて書くことにした。マガジン名を真似るのは流石に怖いので、ひとつ減らして「日々の99」とした。
全部で何個あるかわからないが、しばらくはネタには困らない気がする。物持ちはそれなりに良い人間のはずだ。
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今使っているGANZOの二つ折り財布は一人暮らしを始めた年の2月に購入した。2月は私の誕生月だ。社会人になって数年たち、実家を出たことだしそろそろ大人っぽくカッコ良い財布が欲しい。そんな思考をしていたと思う。
幼い頃、父親の黒くどっしりした二つ折り財布が好きだった。パンパンに詰め込まれ、ギリギリと畳まれた財布には何か無骨な魅力が詰まっていた。大人になることとは財布を持つことで、その中にたくさん物を詰め込むことがその証だと、子供ながらに思っていた。
皮小物の扱いを知らずに使い続けてきたので激しく痛んでいる。しかも尻ポケットに突っ込んで歩いたり座ったりするもんだから、角はグニャリと折れ曲がってしまった。しかしあの皮特有の香りはいまだに消えていない。カード入れの少なさには慣れてきたが、小銭入れの小ささには困っている。小銭入れは別に持ち歩いていたが、面倒臭くなり小さな口にねじ込んでいる。
表面はすっかりひび割れてしまっているが、分厚くコシのある皮はまだまだ行ける気がする。今回の財布の写真を眺めているうちになかなかどうしてカッコ良いな、と感じた。渋みがある気がしないでもない。「もっと使えるやろ」とそう言われた気がした。
金を持ち運ぶための物というよりは、持ち歩く物で金を包んでいる。今はカードは最小限に、小銭が溢れたら玄関の壺に入れるようにしてる。今では財布は軽く薄い方が素敵だと感じる。