人生最大の疑問が解けてしまったこと。人生の意味を真剣に考える若者に伝えたいこと(序)。
「なあ、なんでさ、生き物も人間も子孫をずっと繋いできたんやろね?最終的にはなにがしたいんやろうか?」
「確かに。」
「もし、大人になって分かったら、共有しようや。そんときにはメールしようね。」
16、7歳の頃、部活帰りの男子学生達が、チャリを押しながら、あいつのボールタッチはすげえとか、恋バナや、哲バナや、なんやらを語って歩く坂道があった。
僕たちの住む団地は、山を削って造成されたから、やたらと坂道が多い。朝練の時は颯爽と下っていけるのだが、部活で疲れた帰り道は、延々と続く坂道を、色んなことを語りながら、歩いていく。
冒頭の疑問:「延々と続く命のリレーの理由」について思いを馳せて語るなんて、多感な高校生は、なかなか観点が鋭かったなと、30を過ぎて最近改めて思う。
素直な目で世界を見た幼少期、学問という物差しを手に入れて世界を見たときに生まれる疑問、思春期に生まれる疑問、10代までの多感さは、その後の人生で解いていくための「Q」を蓄えるためのアンテナなのかと思う。
そして、
冒頭の疑問、僕が最も知りたかった「Q」を言い換えると、「自然の摂理とはなにか」。
自然が大好物だった僕は、昆虫や植物、あらゆる自然を観察すればするほど、底なしの神秘を感じ、それを存在させる複雑な生態系が美しくシンプルな法則で運営される仕組みはいかにしてなりたったのか、本当に疑問だったし、それを分かって生きられたらどんなに楽しいだろうか!?と、思っていた。
19歳の夏、京都の原生林の中で自給自足の遊びをしながら、魚を捕り、焚火を囲み、満天の空を見て、苔の世界をはいつくばって観察したりしながら、自然に感動し、自然の摂理への疑問に没頭していた僕が、その答え「A」に出会って、それを分かって生きている未来があるなんて、予想すらできるはずもない。
その約半年後、出会いは唐突だった。(詳細は割愛)
その「こたえ」に続く細い糸を掴んだ僕は、その縁の糸が持つ、不思議な魅力と、出会いの妙、なにかしらの引力を手繰り寄せて、やっとその自然の摂理の正体に出会うのだった。
僕の「Q」に対する「A」を教えてくれたその人も、人生の問題に、幼少期からぶつかった。
あまりにも素直に、現実的に、愚直に、その問題にぶつかる姿、そして、誰もが無いと思っていた「人生の目的」にたどり着いた彼の人生は、僕が思春期の時、自分の正義を貫こうとしたとき、「正しくあろうと」したこと、その答えのない中の努力は無駄ではなかったのだと、若く愚直なもがきに着地点と安堵を与えてくれた。だから、いま自分の置かれた場所で答えが無くて苦しむ10代に伝えたい。
彼の人生を知れば、
(学生時代僕がそうだったように)狭い教室の中での葛藤、弱弱しい勇気と強がり、偽善と本心の間で揺れる自信のない拳、これから生きる若者たちの震える勇気やもがきをどれだけ勇気づけるだろう。また、明かりのない道を歩む人たちの道をこれからも照らしていくだろう。
彼が僕にくれたもの。
それは、僕が捜し求めていた、また、人生で解けるとは夢にも思っていなかったこと、
「延々と続く命のリレーの理由」、「自然の摂理」についての答えだ。
そして、その答えは、完全無欠の鉄壁のような無機質な答えではなく、安堵をもたらし、涙がこぼれるような優しい答えだった。
彼と出会って、
僕の人生は答えを探す人生から、答えを見つけて、それを実行していく人生に覆った。
巨大な謎は、答えを実行しそのあまりに大きな価値を悟る宿題に代わり、大きくなり続ける感謝の道を歩んでいる。
そして、自然の奥にある仕組みは、自然の価値を高め、鳥や木々、すべての美しい自然万物が最も美しく喜びで輝く。
ただの野生児だったぼくは、彼が教えてくれた「天の言語」(これはまた次回お伝えしたい)を通して、自然がどれだけ喋っていたのかを知ったし、どれだけ自分に価値があるのかを知ったし、大変なことも多いけど、毎日ワクワクして必死に生きられています。
あの時の、坂道を歩く高校生3人に、こっそりと言いたい。
「その答え、ちゃんと分かる日が来るから、楽しみにしとき。いまのもがきも全部報われるから。これから、めっちゃ面白くなるから、期待しとき!」
そして、自分の存在の意味について、人生の目的について、途方もない疑問に本当に立ち向かう人、そしてこれから出会う人にもそのことを伝えていきたい。
感謝します。