「マーケティング」と距離をおく。。
世の中には「マーケティング」が氾濫していると思う。
動画マーケティング、BtoBマーケティング、デジタルマーケティング、似顔絵マーケティング、口コミマーケティング、SDGsマーケティング、環境マーケティング、炎上マーケティング、1to1マーケティング、シニアマーケティング、インバウンドマーケティング、ブランドマーケティング・・・
何でも「マーケティング」をつけたら、役立ちそうに思えるから不思議なものだ。
いったい、マーケティングの本質はどのように思われているのだろうか。
おそらくこれだけ氾濫しているのは、
マーケティング=売れる仕組み
という考えが、先行しているからだと思う。
どうにかこうにかして、サービスや商品を購入してもらいたい、利用してもらいたいという想いから、様々なプログラムやフレームワークが作られ、PDCAといわれる実践と検証が繰り返される。
実際に売上があがれば大成功だし、もし売上が上がらなくても、認知度アップや買いたい気持ちにつながれば小さい成功になる。
そんな、現代的な仕組みや考え方がマーケティングだと思われている。
書き出してみると、いつのまにか企業活動にお墨付きをあたえるような活動になっていないだろうか。
マーケティングとはそういう役割なのだろうかか。
冷静に考えれば、「売れる仕組み」ではなく「社会を豊かにすること」がマーケティングが目指す役割だと思う。
企業や団体、個人や行政は、それぞれの立場で社会を豊かにする活動をおこなっている。
ただ、むやみやたらに取り組んだところで成功しないから、マーケティングというものを頼っているのだと思う。
キレイな正解ではないかもしれないが、
マーケティング=成功確率があがる仕組み
が本質なのではないか。
最近の氾濫する「マーケティング」には、豊かな社会とは「モノやサービスが、どんどん売れる社会である」という前提を持っているようなところに違和感を感じている気がする。
社会が変わり、マーケティングも変わっているという見方もあるが、もともとの「マーケティング=Marketing」の持つ理念は、おそらく変わってはいない。ただ、昔はモノが増えていくことが豊かさに見えた時代だったのだというのが、今の私には腑に落ちている。
私は、1個人として、もっともっと豊かな社会をつくっていきたい。そして、できるだけ難しいことの成功確率をあげたいと思う。
ニュースを見るとAIが注目率の高い広告になるように、キャッチコピーや画像を作ってくれるそうだ。本当に技術の進歩は目まぐるしい。もはや、注目する広告を作りたければ、AIで用足りるのだろう。
ただ、私はヒトを感動させるモノを作り出したいと思う。それは難しいことだし、決して、注目を得て多くの人に見てもらいたいわけではない。願いは感動してもらいたいことにある。
「マーケティング」の可能性を感じるからこそ、今は「マーケティング」と距離を置いてみたい。
ご覧いただきありがとうございます。仕事もプライベートもいろいろなモノを掘り下げていきます。