落語の技
甚五郎は、自ら作ったネズミに問いかけた。
「わしはお前を彫るときに、全身全霊をこめたつもりだ。それほどのできばえとは思えぬ虎なのに、なぜただの彫り物になる」
「えっ、あれは虎ですか。わたしはてっきり猫かと思った。」
<ねずみ>の有名なサゲの一節。
「ここらで、本当はお茶がいちばん怖い」「半鐘はいけない。おじゃんになる」「酒はありがてえがやっぱりよそう。また夢になるといけねえ」。落語には有名なサゲがあり、あの噺だねと思い当たるものが多い。
改めて『古典落語100席(立川志の輔・選)』を読むと、落語の魅力は「サゲ」ではないと知る。落語の魅力は、夫婦の会話、街中にあふれるにぎやかさ、登場人物同士の丁々発止のやり取りとユーモアとリアルを取り混ぜたいきいきとした描写が聞かせどころになる。
<芝浜>でいえば奥さんが旦那をだまし続ける展開、<饅頭怖い>では町人たちが他人の怖いものをコケおろす様子、<火焔太鼓>の中での城主の使いとの価格交渉のやり取りなど、聞かせ所は話のサゲとは違う場面にある。
これは「魂は細部に宿る」というプロの仕事の共通点だと思う。
サゲをいうことは誰でもできる。ただ、そこまでの場面場面に鍛錬と技が光る。古典に忠実に再現したり、現代風に語りを変えたり、SF風にしたり、映画の脚本にしてしまうこともある。
これは、AIにはできないヒトのなせる技だと思う。これからも話芸の探求に酔わされたい。
いや、酔ってはいけない、夢が覚めてしまう。
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