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貧困国を援助するよりも、先進国が取り組むべきことは山ほどある。
私は東南アジアや中南米の貧困国を訪れてすごくモヤモヤしたことがある。
先進国と言われる国の人々はその国の人々を支援し、その国が発展するようにサポートする。
その支援の方向性は、全て現在の日本をはじめとした先進国をモデルとした国家になることであった。
しかし正直私は、それらの国々が日本のような国になることが本当に彼らにとって幸せであるのか分からなかった。
もちろん彼らはそれを望む。お金を稼ぎ、車を持ち、電子機器と繋がり、土地部に暮らす。彼らは総じて日本やアメリカのような国に憧れを抱いている。
しかし私たち先進国の国々は彼らのような関係性に飢えている。隣人同士で笑いあい、日々の仕事に追われず、その日その日を噛み締めて生きる。
もちろん彼らの暮らしの大変さも良く分かる。仕事がないために犯罪に走り、治安も悪化してしまう。満足な学校教育も受けられず、貧困の連鎖は続く。
しかしその国から日本を観てみれば、ストレスまみれの毎日、仕事に追われる毎日、激しい競争社会の中で、本当に信頼できる友人など数えるほどもいない。隣人とも顔を合わせることはほとんどなく、ただ会社と自宅の往復。満員電車に揺られ、ただ日々を過ごしていく。
彼らはこんな暮らしの実態を掴み切らないまま、そんな暮らしに憧れを抱く。お金が多くあれば、いい仕事に就けば、幸せになれるはず、と。
しかし全世界の貧困国を援助し、全世界が日本をはじめとしたライフスタイルになってしまえば、恐らく地球の秩序は崩壊する。環境問題もそうだが、争い、奪い合い、騙しあい…は現在の比ではないだろう。本当に彼らに先進国的なライフスタイルを構築するための援助をすべきなんだろうか。
だから私はその道を絶った。
そうではなく、本当に理想とすべきライフスタイルを体現した共同体をどこかの国が目指すべきである。
私はその答えに至った。それが私の現在の取組みの原点でもある。
絶望の国・ゾンビ国家・未来のない国・超課題先進国・・・最も未来がないと言われている、この日本という国から始めたいと思っている。
正直私は貧困国から見つめた日本が恥ずかしくて仕方なかった。世界GDP2位にまで上り詰めた国の人々が、自分の目先の人生を歩むだけで精一杯で、全く世界の課題・社会の課題に関心もなく、興味もなく、無責任なことに。
こんなにも力を持っているにもかかわらず、それを全く使おうとしない国家に対して。
そして私は令和哲学と出会い、現在社会の限界を見つめ、全く新しい共同体モデルを日本から構築していきたいと思っている。
そんな今の日本に限界を感じながらも、日本から新しい突破口を見出していきたいと思っている人たちと共に新しい共同体モデルを作っていきたい。