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競争社会への抵抗感

就職活動のときに出会ったあの感じにはとても抵抗感というか、違和感というか、嫌悪感に近いものだった気がします。

生き残りをかけた資本主義社会、低迷している日本社会においては当たり前だったのかもしれないです。

いかに優秀な学生を獲得するか。いかに他社を蹴落とし自社がのし上がるか。いかに自分たちを大きく見せるか。いかに自分たちが素晴らしく見せるか。

そこにいる人たちは表面上はとても生きがいを感じているようには見えましたが、どこか無意識は疲弊しているような、どこか自分の本心を騙しているような気がしました。

世代の影響なのか、育った環境の影響なのか、私はそんな状況にあまり免疫はありませんでした。

家庭でも誠実さを求められ続きた気がしますし、学校もゆとり教育の影響なのか、あまり競争を意識させられた記憶はありませんでした。

どちらかと言えば、環境問題・少子高齢化…などこれから我々世代に迫りくる多様な問題に対して、世代全体で一致団結して立ち向かっていく意識のほうが強かった気がします。

どこかいくら個々人で頑張ったとしても限界があるし、そもそも社会が破綻してしまえば、そんな個人の勝ち負けなどあまりに意味がないものになってしまうように感じていました。

そうであるにも関わらずいざ社会に触れてみれば、あまりに皆がバラバラな意識を持ち、自分のことのみにフォーカスを当て、これから迫りくる可能性のある多様な問題などさも存在せず、社会はこのまま永遠と同じように運営されていくかのような意識の持ちようであるように感じました。

そしてそれらは永遠に続く椅子取りゲームのようで、お互いへの不信感も次第に募り、椅子に座れなかった人たちは生き残った人たちの足を引っ張り、最終的にはそのゲームに参加している事自体が罰ゲームになってしまうような気がしてなりませんでした。

こんなことを言えばまた「甘えるな」と上の世代の方々に言われてしまいそうですが、なぜこんなにも協力し合えないんだろう。不思議でたまりませんでした。

その疑問が解消されず、一旦就職活動を休止するために大学を休学し、令和哲学と出会い、現在は世界で最も希望のない国・日本から、ポストコロナ・ポストAI時代のモデル共同体国家日本を構築していこうとしています。

私は令和哲学のおかげでこれまで不思議に思ってきた様々な疑問が解消され、実は未来への希望が全く見えないこの日本こそ、全く新しい共同体を構築していける確信を得ることが出来ました。

私は、今の日本に未来が見いだせず絶望しているような方々とも出会って、その絶望こそが希望であることをしっかりと確認してほしいと思ってます。

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