「それでも生きていて欲しかった」 その時に向かって
生後 4ヶ月を迎えたこの7月頃から、原因不明の湯を沸かしたようなお鼻の異音がする持病を持つ私の愛兎、たれ耳うさぎ(ホーランドロップ)のトトさん。
都内のうさぎ飼い界隈で良いとされる動物病院を複数周り、数少ないウサギ用の内服、点鼻薬を網羅しても一向に治りません。
秋口の急激な温度変化のせいか、今度は呼吸困難の発作が出始めました。上を向いて首を前後に動かしては、苦しそうにする動作が続き、しまいには伏せって暴れます。
最初の発作で慌てて救急病院に連れて行きましたが、病院では全く発作が現れません。私から必要性を説いて、2日間入院して様々な治療と検査を行っていただきました。それでも、病名や原因はわからず仕舞です。
トトは、発作以降、急激に食欲が落ちて、見る間に痩せました。退院して数日後、再び発作が出て、同じ救急病院へ。相変わらず病院では普通に振る舞います。すっかり常連になり、看護師さんたちにも覚えめでたく可愛がられるようになりました。
私は症状と経緯の説明を幾度も求められ、友人関係者にも、「緊急」だと何度も伝えるのが段々と心苦しくなり、
ふと、アタマを過ったのは、過去に見たアメリカの医療ドラマの「危篤のオオカミ少年」エピソードです。
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死の蓋を彷徨う重篤入院患者の高齢な女性。危篤状態の知らせに集まった3人の子供たちは、病室で日常会話を繰り広げます。
実はもう何度もこの女性が「危篤状態」と呼ばれては集まるものの、その度に回復を遂げるため、段々とみんな慣れてしまっていたのです。
アメリカ全土に散らばって暮らす兄弟たちは、度重なる「危篤呼び出し」に、時間の確保や経費の壁に阻まれ、女性の寝床の際で口論してしまいます。その後の「危篤」では各者迷いが生まれながらも、なんとか3人集まり、本当に女性は亡くなりました。
生命維持装置の「ピー」という音から、数分後、兄弟3人は、堰を切ったように泣き出します。
数日後、兄弟のうちの一人が、
「それでも生きていて欲しかった」
と、呟きました。
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私もいつか、この感情を抱くんだろう、と思います。
日々、いつ起こるとも知れない発作と死の恐怖と隣り合わせの中で、追い立てられるように治療に時間を割かれる日々。
最初こそ、「死ぬかもしれない」と頭をよぎる経験に、底知れない恐怖を感じたけれど、今では「もうすぐ死ぬかもしれない」なんて、普通に話すようになっています。
現在生後6ヶ月、お迎えしてからはまだ4ヶ月です。もっと普通にお散歩したり、私の好きな人たちに会ってもらえたりすることを夢見ていたけれど、毎日2度のネブライザー処置(薬品の霧を吸わせる医療行為)をして、3回薬を間違えないように与えたり、状態を観察することで、湯水のように時間が流れていきます。
毎日一緒にいて生活を保障するんだから、愛玩で、元気で明るい気持ちにしてくれたり、何か恩恵が欲しい。
恩恵どころかシリアスな現実を突きつけられて手間がかかると人間は、大切な存在に対してさえも、邪悪な感情を抱くことのある悲しい生き物。
そんな、自分の生体反応に負けないように。
いつかくる、「それでも生きていて欲しかった」瞬間を、愛をもって、自信をもって迎えられるように。
そしてその時が、5年10年先であることを、今は願うばかりです。
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