「ない」から「ある」へ〜お金も時間も、片付けも。大事なのは余白(余裕)だった〜
生活に余白をつくる。
Kindleを書くだって、自分の商品を売るだって、収入をあげるだって、人の役に立つだって、すべてこの目標に収斂できるのではないか?
よし、これを2025年の目標にしよう。残りの50日弱はその下準備だ。
先日、ふと、別々に考えていたことがつながって「なんだ、片付けも時間もお金も一緒じゃん!」って気づいた。
気づきを少し整理してみたい。
余白の大切さが理解できなかった自分〜片付け編〜
まずは片付け。
断捨離は12年前、6年前…と、何回かやっていて挫折してる。今思えば、目標が明確じゃなかった。とにかく捨てたら、何かが見えてくると思ってた。
たしかに、一定のところまではいったし、たしかに、そのときどきで人生の流れは変わった。
でも、いま、家の中は、やっぱりぐっちゃぐちゃだ。
断捨離の本を読んでいて「収納は6〜8割に」という法則があった。(数字は正確ではない)
つまりはタンスでも引き出しでも、箱でも、なんでもギチギチにつめてはいけないということ。
こんまりさんは、どんどんモノが積まれていくと下のものが苦しいとか書いていたし、呼吸をさせようみたいな話もどこかで読んだ。
ピンとくるような来ないようなそんな感覚で、学んだ記憶がある。
また、やましたひでこさんの本の中には、2割しか棚の上にはモノを置かないってことが書いてあったと記憶している。
今ならわかる。パレートの法則もあるように、大事なのは、モノゴトの2割にすぎない。
でも、当時は「隙間を埋めたい…!」の欲求に抗えなかったこともあるし、余白をつくることの良さがわかっていなかったので、元の木阿弥に。
だいたいにして子どもが5人いるから、そもそものキャパシティが足りていないのかも?とも思ったが、言い訳をしているみたいなのでやめる。いま、私はこの家で勝負しなければならない。
ところで、片付けにおいて、余白があるとなぜいいのか?
安心するから。なのかも。
まだ、これだけ入れられるという気持ちなのか、余白がモノを引き立てるため、こんな素晴らしいモノに囲まれて幸せだなと思うのか…。
これを実感するのは、まだまだこれからだ。
今年一番の改革〜時間編〜
ずっと「時間がない、時間がない…」と思っていた。
それなのに、生産性も低い。
たいして仕事が進まない自分を責めてばかり。
やることがありすぎる!と思って、常に頭のなかはパニック状態。あれもしなきゃ、これもしなきゃとなり、逆に何にも手がつかない。落ち着いて作業に集中するのが難しい時期があった。
タブをいくつも立ち上げ、記事や投稿を書き終わらぬままに、別の仕事に手をつける。
「今日はあれしようかな、これやっとこうかな…」っていう計画性のなさもあり、(その裏には、どうせ守れないという逃げがあった。)
迷って、タスクのつまみ食いをする。作業をやりながら「今これやってていいのかな?あの仕事の方がよかったのでは?」とブレーキをかける。
それでますます時間がなくなり、予想以上に時間がかかった自分を責め、落ち込む…負のループ。
夕方になって、小学生たちが帰宅し、お迎えの時間になり…「あぁ今日も何もできなかった」って、もやもやする日が続いていた。
どうにかしたい…と、もがくうちに出会ったのが以下だ。
①「本」や学びの影響
この本を読んでから「時間がない」という感覚は持たない方が100%いいと知った。
(センディル・ムッライナタン『いつも「時間がない」あなたに ー欠乏の行動経済学』)
また、自分を責めるというストレスもよくないと知った。
いずれもIQや集中力を下げてしまい、負のループに陥るからだ。
また、方眼ノートで事実を見られるようになったことも大きかった。
知識のパワーおそるべし。
②感謝のパワーと覚悟
いま、子どもたちが学校やこども園に行ってくれてる。先生が自分の命の時間を削ってみていてくれてる。
それでいただいた”ひとり時間”。
まじで大事にしなきゃ。と思えるようになったのだ。
感謝のパワーおそるべし。
だから、「今、この記事を書き切る!」「今日中にアップする!」と、決意ができるようになってきた。ようやく。
③「ある」と知り、言い訳に気づいた
「私は十分、時間をもらっている。」と気づいた出来事があった。
それは、こども園の継続のために就労証明書を書いていたときのこと。
平日は、9時(なんだかんだで10時)〜16時前くらいまで仕事ができる。つまり6時間前後ある。
「そんなにあるの!?」と。なぜか驚いた。
ずっと、「ない」と思っていたから。数字のパワー恐るべし。
「子どもがいるからできない」って言わないようにすると決めて、自分では言っていないつもりだった。けれど、心のなかでは、”できなかった自責から自分を守るための言い訳”として、唱えていたんだ。
そう、この3つ学びから、私には「時間がある」こと、そして「できないのは時間がないからだ」という言い訳に気づき、覚悟を決めることにした。
だから変えることをはじめた。
言い訳していることをただ認めることで、不純物、ノイズが取り除かれる。
やると覚悟をする。「ある」と感じることが100%よいと唱え、感謝のパワーを背中にまとう。数字を見る。
言い訳を削ぎ落とすことで、やるべきことが、シンプルになる。
書き出してみて「なんだ、これだけ?」って思った自分に驚いた。
「ありがたい、私は十分与えられている。時間はある。これをどう使うか?」に思考が変わる…
もちろん、長年のクセによる葛藤もある。
「何時から何時まで、これをやる。」
(心の声:やれなかったら?)
「やれなかったら、また改善する。」
(心の声:子どもが休みのときは?)
「それはそのとき考える。というか、子どもが休んでいる日よりも、元気に登校園している日の方が、圧倒的に多いよね?その事実をみよう。」
という風に、クセづいた自分の心配ブレーキに答えながら。
余白とバッファ
また、バッファが大事というのも、ようやく理解してきた。
「スケジュールにバッファを!」ということは以前から知っていたが、「こんなに時間ないのに、どこに余白なんて作るんだよ」とギッチギチに予定をつめていた。そして「こんなにたくさん、できるわけないよな…(ため息)」っていう。
ダメな例のお手本だった。
最近では、ようやくバッファをとれるようになりつつある。
例えば、次のタスクの間に30分設けてみたら、眠気がマックスになれば仮眠時間にもなったし、少し前のタスクが長引いても、「大丈夫!次のタスクは○時からだから!」と安心できる。
バッファってすごい。
やはり時間の余裕を感じることで得られるのは、安心感。心配や不安が減り、心が満たされて、推進力になる。この感覚を増やしていきたい。
いわずもがなな お金の余裕
最後にお金。
お金に向き合おうと思い始めたのは、恥ずかしながら最近である。
辛すぎて向き合えなかったんだと思う。
詳細はこちらに書いた。かなり赤裸々に。
いま、家計の立て直しをはかっているのだが、先日のDラボ(メンタリスDaiGoさんの放送)で、「お金の不安のなくし方〜稼ぎたいならまず不安からなくせ〜」のテーマ放送があった。
お金の余裕=不安がなくなる。心の安心。
まじでその通りだ。
通帳にお金が残っていると安心する。すごくわかる。
お金の余裕を作るために、貯金とかやりくりとかするんだ。
(すごく当たり前のこと言っているが、一周回って腑に落ちた感じ)
お金の余裕は心の余裕につながり、安心感から行動できる。
うんうん、その通りだ。
(お金に関して内容が薄いのは、まだまだこれからということ)
あぁ、余裕。余白=安心感。
(以上。各章のボリュームがライター的に大失格だけど、OKということにしよう。)
片付けもお金も時間も、上限がある。
片付けの場合は、家のキャパシティ。収納のキャパシティ。
お金の場合は、使える金額。
時間の場合は、使える時間。
どれも「ない」と思っていた。どうにもならんくらい。
でも「ある」。どうにかできるくらいには、ある。
「ある」をベースに、それぞれ余白(余裕)を作っていきたい。
事実をみて、言い訳に気づき、いまこれをやれば大丈夫という安心感を作る。
2025年は安心感の土台を築き、その上で加速していきたい。
ずっと、不安で不安で、焦って焦って、ここ数年?いやもっと?生きてきたように思う。
フリーランスになってからは焦りが強くなったわけだし。
うん。私は、安心感がほしかったんだ。
それにもうひとつ。安心感は人から与えられるものではなく、自分で作り出すものなんだよね。
補足:2024年の目標を振り返って
2024年1月は、例年に比べて、わりとしっかりと目標を立てていた。
目標は「生きる土台作りの一年に」
そのなかに「家庭・片付け」「お金」「仕事(ライフワーク)」という3つの項目があった。
たしかに、少しは進んだと思う。けれど「生きる土台」というのが曖昧だったうえに、3つの項目が向かう先が、バラバラで、1つをがんばると他の2つがおざなりになる感覚だった。
だんだん、整理できてきたぞ。
2025年はもう少しうまく生きられそうだ。
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