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「大事なものに気づけるか」〜猫がいない7日間と歴史上愛された猫たち〜

歴史のなかでの猫と人との関わりは、地域や文化、時代によってさまざまだ。
世界史でみると、猫を愛していた最古の人々は、古代エジプト人だと言われている。紀元前2000年。いまから4000〜5000年前のことだ。

古代エジプト人と猫

古代エジプトでは猫は「ミウ」「ミイ」と呼ばれた。
エジプトでは、さまざまな動物が神格化されたが、猫は「女神バステト」を表した。豊穣の母神、家の守り神だ。優雅な姿、子育ての様子、家でくつろぐ様子などがイメージと結びついたのだろう。
猫はエジプト人にとって身近な存在だったので、人々はバステトに親しみを持っていたという。

日本の飼い猫ブームは平安貴族にて

日本で最初に飼い猫ブームがあったのは平安時代のこと。貴族の間であった。
平安貴族には猫派が多く、唐猫といって中国からきた猫を飼うことが一種のステータスになった時期もあった。平安時代には、多くの貴族たちが猫を飼っていたようだ。

宇多天皇が書いた『寛平御記』(かんぴょうぎょき)という日記は、猫を愛玩動物としてともに暮らした日本初の記録といわれている。
寛平元(889)年。宇多天皇が愛猫のことをこう書いている。

・ほかの黒猫はみな浅黒いが、この黒猫は墨のような漆黒
・いったん屈まると、その大きさはキビの粒のように小さくなり、伸びをすると弓を張ったように長くなる。
・目はきらきらと輝いていて、針を散らしたように光る。
・歩くときはまったく音を立てないので、まるで雲の上の黒龍。
・夜にはよくねずみを捕り、ほかの猫より敏捷
・私はこの猫を慈しむこと五年になる。
・毎日乳粥を与えている。

天皇のあたたかい眼差しが伝わる。
乳粥というのは、宮中の薬所から運ばれてくる貴重な牛乳を使った粥のこと。
当時、牛乳は人間の薬とされていたのに、猫の餌になっていた。
さすがVIP猫は違う。
それと余談だが、「針を散らしたような」って表現がかっこいい。

平安時代は猫を繋いで飼っていた。
飼われるのは唐猫という高級種だから、どこかに逃げてしまわないようにつないでおいて、慣れてきたら家の中で放し飼いをしていたと考えられている。

また、一条天皇の飼い猫には、当時珍しく名前があった。
その名も「命婦(みょうぶ)のおとど」
しかも五位という貴族の位までもらっていた貴猫である。

清少納言の『枕草子』に、この命婦のおとどと犬のエピソードが書かれている。
ざっくり説明すると、「翁丸」という犬が命婦のおとどをおどかしてしまったため、翁丸はむちで打たれ、犬島に捨てられた。(でも、後日、この犬はボロボロになりながら帰宅。清少納言は犬が戻ってきたことを美談としている。犬派だったらしい。)という話。
この時代、猫の名前が残っていること自体が珍しく、よほど愛されてた猫なのだとわかる。

病気の猫が治った奇跡

藤原頼長『台記』に以下のような話がある。

猫が病気になった。千手観音の像を描いて、「猫の病気を早く治してください。そして猫に十年の寿命を与えてください」と祈った。すると猫は平癒し、ちょうど十年後に亡くなった。

これは、観音様のすごさを伝える「観音霊験譚(れいげんたん)」と呼ばれる話の類に入るので、話の主役はおそらく観音様なのであるが。
祈ることで猫の病気が治り、その猫は十年生きたという。

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この話を知って、ちょっとシンクロしてしまったのだが…

私も、祈った。
猫がいなくなったときに。

先日、うちの猫が1週間の旅から帰還した。
1週間、行方不明になったのだ。

猫がいなかった7日間

うちの猫は「おこげ」という。
3歳くらいの黒猫(メス)だ。
我が家は田舎にあり、裏には山。ご近所も車通りは少なく、田んぼや畑もある。
おこげは、家の中と外を自由に行き来。好きな時に外へ出て遊び、好きな時に帰って餌を食べたり、家族に甘えたり、爆睡したりする。

猫とはいえ、夜は私たちと一緒に寝るのだが、いなくなった12/8(日)は、夕方〜夜まで寝ており、人間が寝る時間になる頃に、覚醒。21時に外へ出て行った。
たまにあることなので、「まあ朝には帰ってくるだろう」と見送り、就寝。

でも、おこげはそのまま、帰ってこなかった。
朝になっても、昼になっても・・・。
さすがに心配になり、裏山や近所を探して歩いたが、手がかりはつかめず。

嫌な予感が胸を埋め尽くす。

次の日も、おこげは帰ってこなかった。
子どもたちも私も、通常通りに生活をする。
子どもたちは学校から帰るたびに「おこげは?」という。私はその度に首を振る。

末っ子を子ども園に送り届けると、私のおひとり仕事タイムがはじまるのだが、ひとりになると、寂しさが余計に刺さる。
「あぁ、おこげ、いないのか」って。

私は猫が嫌いだった。子どもの頃からインコを飼っていたので、猫は敵と認識していたというのもあるし、猫の行動や気持ちが全然わからなかったから。
おこげに慣れるのにも、時間がかかった。
布団におもらしをされたこともあるし、裏山からネズミや鳥、トカゲなどをお土産に持ってくるし、猫によくないからとアロマオイルもやめた。
でも、いつしか、かけがえのない存在になっていた。

子どもと私が散歩に出かけると一緒に歩いてくれるし(リードなしで!)
散歩から家に帰ってくると、廊下で「まーお」となき、ドアを開けてと教える。
ときにぐるぐるのどを鳴らして、膝の上にのってきたり、私たちが外出している間、外で待っていることもある。とても甘えん坊だ。

因果関係がなくても自分の言動を振り返ってしまう

実は、おこげがいなくなった夜。私は、とてもイライラしていた。
土日をうまく過ごせないとイライラしてしまうのが悪い癖なのだが、子どもに大きな声で感情をぶつけてしまっていた。
別に、おこげが出て行ったこととは何の因果関係もないし、子どもが行方不明になったわけでもない。
でも、もっとしっかり生きなければ…と反省した。

当たり前と思っていたことが、突然当たり前ではなくなる。
どんなに大切だと思っていても、裏腹な行動をついしてしまうことがある。
でも、そんなこと、もうやめたいと思った。
毎日、マルを出せるように生きたいと思った。
おこげに教えられた。

1週間後、奇跡がおきた

翌週の日曜日。私は子どもと、毎週恒例の買い出しに出かけた。車で片道40分のちょっと大きめのスーパーへ行く。
帰り道、ふと長女が「神社行こう」と提案。もともと私は神社が好きで、趣味で子どもたちをあちこち連れて行ったこともあった。そんなノリだったと思う。

いままでスーパーの行き帰りに通り過ぎていた神社。私の好奇心も刺激されて、子ども4人と一緒に参拝。
2歳児が「かみさま、あーとー(ありがとう)」という姿が可愛い…と思いながら、手を合わせた。
いくつかの願い事や決意表明もしたけれど、最後に「おこげを返して」とお願いした。

その夜だった。おこげが帰ってきたのだ。
行方不明からちょうど丸1週間。彼女は無事帰宅した。
すなぼこりにまみれて、ひっつき虫もたくさんつけて、痩せていた。けれど、元気に、帰ってきた。

あとで聞くと、子どもたちも「おこげが帰ってきますように」と神様にお願いしたと言っていた。みんな、お願いしていたんだ。

彼女に何があったのか、どんな壮絶な旅をしていたのか、知る由もないが、本当に帰ってきた。本当にこんなことがあるのか、と思った。
心のなかでは、正直諦めていた部分もあった。これを奇跡というのかと、驚くばかりである。

大切なものに気づけるか

平安時代も現代も、猫が大切な存在だった人がいる。
どうにもならないときに、神仏に祈った人がいる。

いつの時代も変わらないものがあるのだなと思った。
そして、失ってはじめて気づくことがある。人生ってそんなものかもしれない。
だけど、今回、失っていたのは1週間で、無料で貴重な講義を受けたみたいな、よく分からない感覚になっている。
身に余るほどのラッキーをいただいた感じなのか。

おこげはいま、お気に入りの場所で、以前と変わらずくつろいで寝ている。
おこげがいる幸せを噛み締めながら、子どもたちや日常、自分自身…大切なものを大切にしていこうと思った。

<参考文献>

田中貴子『猫の古典文学誌 鈴の音が聞こえる』

キャサリン・M・ロジャーズ『猫の世界史』


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