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恋愛からの結婚について

※PCに反し本音で書いたため、この文章で気を悪くする方がいるかもしれません。ご注意ください。

70年代以後、しばしば結婚の原動力ということにされている恋愛というもの。

時間の余裕なく、感情をプロテクトしまくりの外部(社会生活)において現代でそんな幻想やリビドーにつき合っていられないことは多い。
法や時間のなさ、生活圏の狭さに妨げられるその観念をほんとうに体験した人はどれほどいるのか?

なかなか疑わしいものであると思う...。

大多数の経済が落ち込む今、結婚は生活に迫るものへと戻りつつある。
それでもきっかけは恋愛だと、かこつけたがる人々はいるのではないか...?

そしてその幻想(恋愛)再現装置はしばしば♀が用意し操作する。初期は知らないが♀は関係の継続のために必死に慎重に計算して立ちまわり幻想を提供し続ける。

結婚とかいうものはしばしば♀側のコミュニケーションコントロールから♂を勇気づけながらたどり着くことが多いのではないか。
それはもはや恋愛などではない。交際の継続は理性的対応、計算の積み重ねのあとの賜物であると思う。

私は経験したことはないが、経済的に豊かな社会か、またはモラトリアムか、あるいは無神経(何も気にしない)ければ恋愛というものは成立しにくいのではないかと思った。

あっさり結婚している人たちが多いように見えても、そこには♀側の細心の注意を払った、理性的で計算しつくされたコミュニケーションコントロールによって形成された家庭が多いのではないかと思える最近だった。

ただ♀側がほしいものを持っていない♂は最初から相手にされず、市場に出ることもできないという困難も抱えていることは90年代くらい?から続いていることは自明である。(ウエルベックの『逃走領域の拡大』にも表されていた)



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