社会の溜飲を下げる

先日以下の一連の記事を公開しました:

大変な反響をいただき、「先週もっともスキされた記事の1つ」に選ばれました。
また多くの「サポート」も頂き、ありがたい限りです。
(恥ずかしながら、noteにこういう機能があることを知りませんでした。)

頂いたコメントも読ませてもらい、noteを含めたSNSで発信することの意義について改めて考えました。

まず上の記事にも書いた通り「次の世代を励まし、生活保護制度や大学・大学院の問題点を明らかにすること」がその一つだと思います。
実際「次の世代」の方からも連絡を頂いていて、私はまだ道半ばであるものの、ロールモデルとしての役割を果たせたことを嬉しく思っています。

そしてもう一つ「社会の溜飲を下げる」という意義もあるのではないかということに気がつきました。

私の意見は時に過激ですが、こうした意見にも共感するコメントを多く頂きました。
つまり私と同じような怒りを結構たくさんの人が持っているということです。

普段こういう怒りは個々人により表出しないよう制御されていているのだと思います。
だから怒りの対象にはこのことが伝わらず、何も変わらないという気がしています。

であるならば、現状を変えるために誰かがこの怒りを口に出さなければならないと思います。
全員がそうする必要はないかもしれませんが、誰か一人くらいはそうしないといけない気がします。

怒りを口に出すことは多くの場合反感を買います。
今回頂いたコメントのほとんどは肯定的なものでしたが、そうではないものもありました。
今後、私個人が損をすることもあるでしょう。

しかし誰かが口に出さなければならないと思います。
幸い、大学教員というのはこういうことが比較的やりやすい職種だと思っています。

口に出されなかった怒りは社会に蓄積し、最悪な形で噴出することがあります。
近年もこうした怒りを有形力の行使をもって発散したような事件が複数起こりました。

こんなことは本来起こってはいけないはずですが、事件の首謀者の背景が明らかになると、世間から同情を買うこともあります。
もしかすると、彼らの持っていた怒りそのものは正当だったのかもしれません。

でもやはり、そんなことが起こるべきではありません。
そうなるくらいなら、その前に誰かが怒りを伝えるべきだと思います。
同じ怒りを抱えた人がいるということを示し、連帯するべきです。

かくいう私も、全部壊してしまいたくなるような怒りを経験しました。
そんな私が発信することで、少しだけ、社会的弱者の溜飲が下がるかもしれないと思っています。

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