私が子どもの貧困を解消するために数学者となった理由

別の記事でも詳しく書いていますが、私は生活保護世帯の出身で、今日では「子どもの貧困」と呼ばれている問題の当事者でもありました。
それもあって早い段階から貧困に対する問題意識は人一倍強かったと思います。
一方で私の職業は数学者であり、貧困問題とは無縁の職だと言えます。

そもそも数学の研究をしたいというのは私自身の内から出た強い願望でした。
そして私が生活保護世帯から大学進学する難しさという問題に直面したのは研究者を志したからなのです。

私は世の中の不条理に憤り、なんとしても変えなければならないと誓いました。
ただ私が本当にやりたいことは純粋な真理の追求であって、それは「子どもの貧困」のような問題に寄与することのない仕事であるように思われました。
これは私の人生の中で最大の葛藤でした。

しばらく考えた結果、私が出した結論はこうでした。
「万人に夢を追うチャンスがあるべきなのだから、私が夢を諦めなければならないのはおかしい。だからまずは自分がやりたいことをやって、それによって次の世代にも希望を持って欲しい。」
こう決めた後は一切立ち止まることなくここまで来ました。

ずっと昔、東日本大震災で被災した子どもを取材した記事を読んだことがあります。
その子は「この震災を経験した自分だからこそカメラマンになって被災地の状況を伝えなければならない」と語ったそうです。

記事の執筆者はその子の言葉に複雑な思いを抱いたようでした。
「震災なんかに人生を決められなくてもいいのに。震災がなければ他の人生もあったろうに。」と執筆者は感じたそうです。

当然この子のような人生の決め方があっても良いはずですが、私自身は自分の人生に対して執筆者の側の考え方を取りました。
つまり、貧困に自分の人生を決められるのはおかしいということです。

とはいえ社会への問題意識と職業選択は結びつけられがちなのかもしれません。
実際高校生の時に受けた給付型奨学金の面接でも面接官の方に「貧困の問題に興味があるのなら、官僚や政治家を志した方が良いのではないか」と聞かれました。

そのとき咄嗟に答えたのは「社会問題へ取り組むことはある特定の職業の人だけの責務ではなく、どの立場の人も出来ることに取り組むべきだ」ということでした。
これは今でも答えのままです。

自分のやりたいこと、次の世代のためにできること、これらは両立し得るということを示せたらいいなと思っています。

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