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So we beat on...
身の回りの整理の副産物再び
恥ずかしい過去の遺物から
若さ故のと言うか
まぁ、詩的な何かを綴っていた時期のモノ
その中からひとつピックアップして
古びた言葉、思考でありながらも
現在に至るまでの感覚との共通点もあり
今の感性からの思考
人生はしばしば旅に例えられる
そして、その中でも世界、人生とは海原であり
生きるの事は航海に例えられる事が多い
大きい波、小さい波
照りつける太陽や吹き荒れる嵐
時には目的地が見えない水平線を目指し
見えているのに届かない陸を目指す
しかも乗っているのは大きな帆船などではなく
ましてモーターボートでもない
手漕ぎの小さなボートではなかろうか
目的地を定めている人も後ろ向きに漕いでいる
正確に、真っ直ぐは向かってはいない
目的地を見つめるだけでは進みすらしない
時に同乗者が現れたりもする
向かいに乗り込み、進む先を確認してくれたり
目指す目的地によっては数人で漕ぎ
一人が航路を先導する事もあるだろう
桟橋を見つけ、一休みして
同乗者が乗り降りして
また独りで漕ぎ出す事になった時
元々の一人旅よりも少し大変に感じたり
通り過ぎてきた景色や
後ろへ掻き出した波紋を眺め
感傷に浸ることもあるのではないだろうか
こう例えると、人生とは後ろ向きに
過去を眺めながら進んでいて
一人旅ほどより長く、多く
過去と向き合う事になるもので
目的を見失う事も多くなりがちで
何もない海の真ん中で手を止めて
休もうものならば、どんどん押し戻される
何処を、何を目指してるのか解らない
目指す先が解ってもどれだけ進んでいるか解らない
何処かに辿り着くまでは解らない
間違えた方向に進んでいるかもしれない
それでも大小押し寄せる波に
過去へと押し戻されない為に
ひたすらに漕ぎ続ける
力の限り
この記事のタイトルと同じテーマで綴った
気恥ずかしい古い言葉の中には
この記事と同じ感覚が織り込まれていました
書いた当時に聞いた講義
読んだ作品の内容が反映されていて
時が過ぎてもフィッツジェラルドの影響力は
薄れる事なく残っていると感じます
取り留めもなく書き綴りましたが
最後までお付き合い頂いたアナタは
どのように感じ、どう考えたでしょうか
機会があれば
"The Great Gatsby"を読んでみるのも良いと思います
それでは
この記事があなたの明日からの世界を
より良く出来れば幸いです
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