後ろに立っていた爆乳戦艦

時計を見ると、21時になっている。うちの会社の終業時刻は夜の18時だから、3時間弱残業していることになる。残業代が22時以降からしか出ないから、ここで帰宅するとサービス残業となる。この時間になると残業代が支給される時間までダラダラとしていることが多い。

「フン〜フンフン〜フフンフン〜♪」

この部署はわりと朝から夕方まで仕事がなく暇なことが多いのだが、夜になると他部署の仕事が雪崩のように舞い込んでくる。だから、ここでは特定の仕事をしている人は夕方から定刻まで猛スピードで業務を進めることになる。ただ一度でも他部署の仕事にミスを見つけると、そこに修正依頼をするため、自ずと深夜残業をしなくてはいけなくなる。今日も他部署で頻繁にミスをする日本人のくせに外国ネームの彼の尻拭いをしているところだ。尻拭い担当は、自分以外にも目の前の陽気に仕事をするこの男だ。

「なに口ずさんでんの?」

「聞いてわかんない?」

いつもこの時間まで一緒に残って仕事をしているからか、最初は不気味だったこいつとも話をするようになった。最初の頃のこいつに対する気持ち悪いという評価は変わり、今ではもっと話をしたい気すら湧いてくるから不思議だ。

「ドラムとベースのミックス音?」

「俺はヒカ◯ンか!」

ただ、こいつとの会話を思い出そうとしても何も思い出せず、くだらなすぎて何も記憶に残らないのが切ない。こいつは俺が発する単語をひとつひとつ丁寧に拾ってくれては返してくれるから話が気持ち良く進む。記憶には残らないが、気持ちには残る会話。俺がこいつを評価する唯一のポイントだ。

「そういえば、俺が高校生だった時すごいバンドブームだったなあ」

「あるある。かっこいいから自分もやってみたいっていう願望だろ?」

彼はイスの上で正座をして、ぐいっと勢いを付けてクルクルと回転させながら答える。彼のディスクには大量のお菓子が散乱していて、そのうちの花林糖の袋を手にモグモグと食べながら回り続ける。もし彼がジャンプの漫画のキャラとして描かれるなら、某人気漫画の頭の切れる甘いものが大好きな名探偵だろうな、と自分の中で腑に落ちる。

「でも適材適所を知らないから仲いいメンバーで組んでも被るし、仕方なく担当した楽器だと練習しなかったりするよな」

「バンド内の隠れ恋愛も憧れたよなあ〜」

「お前男子校だったけどな」

思い出させるなよ〜、と2、3個の花林糖を投げつけてくる。場所を構わず物を投げることに躊躇いがない彼はよく社会人になれたな、と社会の不条理に時々嫌になる。食べ物を投げるなんてゴリラかよと、俺はゴリラと同じ会社で同じ仕事をしているのだと。最近はこの事実を受け入れつつあるが、この男のこういう一面に触れると自分が情けなくなることがまだまだある。

「文化祭でやれば他校の女子見に来てモテると思ったんだよな〜」

「うちはスポーツが有名だったからそっちの出待ちだったよ」

投げられ地面に落ちた花林糖を拾い、ボールに見立ててバッドを振る要領で彼に打ち返す。ナイスボ〜ルと盛り上がっている彼を見ていると、無性に安堵し、一緒になってケタケタと笑い合い、深夜のオフィスでふたりの騒ぎ声が鳴り響く。

「男子校問わずかもしれないけど、文化祭でホントの最後まで残ってる女の子達なんなんだろうな」

「それはナンパ待ちの彼女たちのこと?」

「ナンパ待ちの、他校がほぼいない後夜祭までベンチに座ってる子とか居たよな」

「いたいた、恥ずかしいとは思わないのかね」

「結婚願望の強い30代40代くらいの女性と同じだよな」

「だよな。ギャハハ!だせえわー」

「ギャハハ!だろー」

僕はこいつとこういうくだらない話をしているのが、たまらなく楽しい、と最近は思う。会社に入って、とりわけ仲の良い人ができたわけではなく、ただただ与えられた業務を淡々とこなすのが仕事で、それ以上もそれ以下も仕事にはないと思っていたからだ。こいつとは、この先もずっと仕事するパートナーとなっていくんだろうな、と感じる。

「会社で今残ってる女社員とかもさ、わざと仕事遅くして残業して男社員に頑張ってるアピールしてるみたいなもんだもんなw」

「・・・お、俺はそんなこと思わないけどな」

彼の顔面が急に蒼白になる。

「いやいや、どうしたよ?お前も同じようなこと言ってたことあんじゃねえかよw」

「いえいえ?俺はそんなこと言ってないよ?」

楽しく話していたはずのテンポの良かった会話が急に途切れ始めた。

「お前どうしたよ?まさに結婚願望の強い三十路の女が目の前にいるような顔しちゃってさー」

彼は僕の目を見るわけでもなく、僕の右顔の上部を見る。そして、僕は、おそるおそる後ろを振り向くと、経理課の年増の女性が仁王立ちしていた。

女「あなた。無駄な残業として、あんたんとこの部に報告しときますからね」

「……え、これは違…!」

そういうと、女性はすぐ振り返り扉を開けて出て行った。

「ついてないな。タイミングといい、色んな意味で」

「ホントだよ。俺ばっかなんだよなあの人。綺麗な顔して性格きついんだよ」

「どんまいどんまい〜!」

彼は満遍の笑みで、楽しそうにサルみたいな手つきで両手を叩きはしゃいでいる。

「くっそ、なんで俺ばっかなんだよ。会話してたの俺とお前なのにさー」

「だって、僕、あの人にいろいろと尽くしてるもん」

「なに?尽くしてるって?どういうこと?」

目を丸くして、彼に問う。

「え?言ってないっけ?」

「あの人、僕の彼女だもん」

「だr………え??」

彼は何食わぬ顔で答える。いつも彼女が僕に厳しい理由は、彼氏であるこいつと僕が仲良くしているからであって、ディナーデートやランチデートの邪魔になっているからだ、と察した。いつも何か視線を感じていたのはこれだったかと納得した。

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