僕の好きだった女の子をあっさり捨てやがって

定刻を少し過ぎて、チャイムが鳴った。18時になると、うちの会社はチャイムが鳴る。お洒落な音でもなく、かと言って重々しい音でもなく、まさに学校の放課後を告げる音とまるっきり同じものだ。僕は業務を切り上げて帰り仕度をする。昔から学校でも授業が終わり、先生の他愛もない世間話が終わるとそそくさと帰るようなタイプだったから、大人になった今でもこの気質は変わっていない。

「おう。帰りか?」

かといって他人を寄せ付けない態度は取っていない。それにも関わらず、会社では仲良しと呼べる友人はいない。近寄りにくい雰囲気はずっと前から持っていて、それを周囲の人は察しているみたいだ。でもやはり社会には一人くらいはモノ好きなやつがいるものだ。僕はそいつに気に入られ、仕事終わりにカフェに行くような間柄になった。彼とは頻繁に会社近くの珈琲屋に行き、だらだらとくだらない話をするのが日課になっている。意味のある話でもなく、何かを説教するような話でもなく、お互いのふとした気付きを述べ合っている。

「何になさいますか」

毎日いる店員が注文を聞いてくる。僕はいつも同じ飲み物を頼むんだけど、彼はコロコロと種類を変える。以前、飽き性なのかと聞いたことがあったが、滑舌の悪い店員の苦手な行を調査しているとの性悪な答えをしたときには、僕は彼と知り合いになってしまったことに後悔した記憶がある。それでもなお、知り合いで居続けているのは、何かと話が弾むからだろう。ガタイのよい店員が作った珈琲を受け取り、いつもの右隅のテーブルに腰掛ける。黄色と肌色の間のようなカラーテーブルがあるこの珈琲屋は、センスの良い家具が並ぶため、客層はいつも若い女の子が集ってはしっとりとした雰囲気を味わえる場所になっている。そこにスーツ姿の男性2人が陣を取りながら、珈琲を啜るのだ。

「なあ」

「ん?」

珈琲に角砂糖を5つほど入れてかき混ぜながら、彼は言う。

「趣味が多い奴ってどう思う?」

内側でドリンクを作っていたガタイの良い店員がフロアに来て、各々の机を拭き始めた。

「いいんじゃない?僕は多い側だけどな」

「何か趣味が多いって、飽きやすい性格だと思うんだよね」

彼は砂糖でどろどろとした珈琲に、さらに各砂糖をもう2つ足してかき混ぜる。砂糖が溶けきらず油田状態になっている珈琲に、ミルクを少しづつ丁寧に投入する。

「うーん。別にその趣味を継続してればいいんじゃない?」 

「俺が思うに、継続してるけどすぐに次の興味が湧いたものにいってるんだよ」

「今まで夢中になっていた趣味と呼ぶものを止めてってこと?」

「そう。慣れてきてワクワクが無くなったら、次のワクワクを探す」

「ちょっと違うと思うけどね」

畑の傍に流れているようなどろどろとした色の飲み物を啜りながら得意げな顔をする。美味しそうとは決して言えそうもない目の前の水分を何のためらいもなく口に運ぶ彼はやっぱり何か人とは変わったものを持ち合わせている。おそらくそれは味覚なんだろうけど。

「趣味が多い奴は飽きたから次とかそんなことじゃないんだよ」

「つまり?」

「ある程度やったら確かに慣れてくる。でもそれはある程度のレベルまでは必ずやるんだよ」

「ある程度って?」

身体に悪そうな飲み物をぐいっと飲む。良薬は口に苦しという言葉があるが、実際は身体に良くも悪くもない不味いものを治ってるという感覚に陥りながら耐えて口にするから効果的なのであって、身体に悪いものをただ飲むのは病気志願者だけだろう。彼には糖尿病という病気がいかに重い病気なのかという理解が浅い。溝からすくいあげたような濁り水を一気に飲み干すと、彼は淡々と語り始める。

「同じ趣味のやつとやっても遅れを取らない、次またやり始めたときでもそこまでリハビリが要らない位のレベルまでやってる。ゲームで言えば全てのアイテムを取るまではいかないけれどストーリーとしてはクリアしているレベル。つまりは魔王は倒してるんだよ」

腰掛けていた椅子の向きと組んでいた足の利き足を変えて、顔の半分を隠す長さのある前髪を揺らせながら彼は顔をくいっと出し前のめりになる。ピタッと肌に吸いついた細いジーパンはとても年季が入っていて落ち着いた雰囲気を感じる。それを着こなす彼は割りとセンスが良いのだと思いながら、言うことに耳を貸した。

「そう言われると少し納得はする。俺はどっち付かずの継続根性がないやつだと思っていたよ」

「それはいわゆるにわかファンと変わらないよな」

「同じ趣味の奴と話していてそれなりに会話が続くのはその趣味に精通してると言うことだから趣味に認定していいと思うぜ」

彼は緩やかな形をした椅子に全身を預けるように座り直した。漫画であれば端に星が描かれるような口元をしてこっちを見る。端正な顔立ちに張り付いた図太くて先っちょに向かうほど狭くなる眉毛はおそらく地毛ではなくて、男の分際でメイクを施したものなんだろう。

「じゃあさ」

「おう」

「お前の、女をとっかえひっかえするのは趣味?」

「え?」

彼は目を泳がせると、微笑を浮かせてなんだよそれーと不恰好な突っ込みを入れる。さっきまで深く腰掛けて思いっきり背もたれに体を寄らせていた体勢から、突っ込みと同時に椅子に浅く座り直す。彼の強張る表情と比例して脚立も弱々しくなったのか、ギィィと壊れそうな音を出した。

「気がつくと別の女に変わっているのは女の子マスターみたいな趣味ってこと?」

「この話はやめようか」

声にならない渇いた音で笑う彼の額にはカエルの卵みたいな汗が吹き出ていて、みるみるうちにおたまじゃくしが孵化しそうなほど発汗している。焦点が定まらない彼の視線は、どこを見ているのかわからないが、斜め上のどこかを見ていることはなんとなくわかる。

「僕の好きだった女の子をあっさり捨てやがって・・」

錯乱状態に陥る彼の視線の中に無理やり入り込み、 嫌がる彼に目線を合わせる。彼の顔面は吹き出る汗が止まらず、ポタポタと流れ出る。僕は彼に無理矢理視線を合わせるのを止めると、ズボンからスマホを取り出す。そしてじっとスマホを見つめながら、愛でるようにスマホを撫でた。

「な、なにしてのん?」

「触ってんだよ。誰かさんに捨てられた俺のお姫様をさ」

彼は体を硬直させながら、視線だけを僕に向ける。定まらなかった視線がただ一点だけを見つめる。その視線の先の指には、彼が棄てたはずの彼女へプレゼントしたはずの指輪が輝いていた。

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