垣根を超えたLOVE

「一人暮らししたいんですよぉ」

金曜日の仕事終わりには決まって向かう場所がある。会社の同じ部署で仲良くしている財務部のジョンさんの家だ。ジョンと欧米人っぽいニックネームで呼んでいるけど、彼はなんてこともない純日本人。本当の苗字は『純平』なんだけど、『ジュン』だとつまらないからジョンにしようと課長の心遣いからこうなった。周囲の人は、正直ジュンでもジョンでも変わらないからどっちでもいいんだけど、課長の言うことだからってジョンで通している。呼ばれている当の本人は呼ばれるたびに少し顔をしかめるときがあるけど、これが社会のしきたりだと抵抗はしない。

「今実家なんだっけ?」

ジョンの家に行くまでにあるコンビニで買った缶のお酒を自ら開けて、僕に渡して聞く。ジョンとは会社でも部署が同じということもあり仲良くしている。先輩と後輩の関係だけど、年齢の垣根を越えてフレンドリーに(そう思っているのは僕だけかもしれないけど)接してくれている。毎週休日前になると、ジョンの家でお酒を飲みながらいろんな話をするのが恒例となっていて楽しみな時間だ。

「会社までは一応通える距離だし、1人暮らしでのコスト考えたら…って理由で迷ってるんです。でも猫とか飼えたら幸せじゃないっすかぁ」

「したらいいじゃん。まぁいい点悪い点あるけどね」

「そうなんですよね」

ジョンは玄関の入り口に無造作に置かれたコンビニで買ったお酒やつまみをリビングまで持ってくる。大量に買った品々を机の上に並べ終わると、キッチンに向かい簡単な調理を始める。ジョンは毎週金曜日に来てくれる僕という客人の有り難さにおもてなし精神で振舞ってくれる。僕はジョンが料理をしている間ソファに座り、周囲に散乱している雑誌を無作為に選びながら会話を進める。

「まず家賃で結構とられますもんねー」

「それ言ったらもとの子もない話だけどな」

キッチンからジョンは答える。淡々と調理をしながら自分と話をするジョンは仕事でも同時に大量の仕事をこなす。その業務スピードは周囲からの評価は高いものであるが、早く上げてくる割にはミスがあってよく上司に怒られている。僕は机の上のポテトチップスの袋を開けてポリポリと食べながら、その姿を思い出しニヤッとする。

「一人暮らしの難点は家賃と公共料金と家事ってところですかね」

「難点というより、やることだけどね。後、食費な」

雑誌をペラペラとめくっていると、付箋が貼ってあるページがあり、内容は今日の晩ごはんというコラム。文章の全体にピンクのマーカーでグルグルと丸で強調されている。コラムの右側には美味しそうなハンバーグとその隣に黄色いスープとおしゃれなマグカップに入った緑の野菜の写真が載せてある。よく見ると、ハンバーグの形がハート型になっていて、タイトルも《気になるあの人へ、口で言えないなら食べさせちゃえ》と恋を匂わすもの。ジョンもこういうの読んで勉強しているんだなあと感心する。

「確かに実家暮らしではやらないことですもんね」

「その代わり良いこともあるよ」

「良いこと?なんです?」

ジョンはキッチンの奥から焦げ臭い煙をモクモクと出しながら、渾身の出来と言わんばかりに机の上にどんっと置いて僕にドヤ顔をする。皿の上には焼き人参とホクホクのじゃがいもが置かれていて、キッチンの奥からまだ食うなよーと言うジョンの声が聞こえてくる。コップと調味料を探しているようだった。

「恋人を連れ込めるよな」

「先輩無縁でしょう」

僕はジョンを見ず言う。

「好きな部屋にもできるぞ」

「先輩倉庫みたいな部屋じゃないですか」

部屋の奥からお前なぁ〜とジョンが発する。奥にいるジョンの姿は見えないにせよ声のトーンで落ち込んだ様子になっているのが伝わってくる。

「そうなんだよなぁ、片付けられないから実家に戻るしかないか・・・」

「実家に戻ってもいいんです?」

「戻りたくないさ。でも、皿洗いから風呂洗いめんどいだろ?それに・・・」

「それになんです?」

「いや、なんでもない」

煮え切らない様子で、キッチンから煙をモクモクさせながら両手にお皿を持ち机の上に置いた。皿の上には黒い肉の塊らしき物体があり、見るからに焦げているのがわかる。ジョンは缶ビールを取り、ぷしゅと豪快な音をさせる。2つの黒い固形物にケチャップを大量にかけると、ビールを片手に僕の隣によっこいしょっと座る。

「僕はわりと整理整頓するの好きなんですけどね」

「お前が帰ったあとの俺の部屋はいつも綺麗だからなあ」

満遍の笑みを浮かべながら、こっちを一瞥する。

「そうかシェアハウスすればいいんじゃないですか?」

僕は目をキラキラさせて、先輩の眼を見る。

「即答できないね」

僕の突然の提案に、ジョンは先程までの態度から一変してソワソワし始める。お酒のせいなのかピンク色のジョンの頬は何かが露わになるのを隠すように染る。

「なぜです?」

「だって君は、こっち…だろう?」

手のひらを左顔のほほに当て、口を尖らせる。手の関節の使い熟し方やふるまいの姿から無性に女を感じる。

「・・・いつからお気づきで?」

「類は友を呼ぶって言うからね」

「ってことは、先輩も?」

「………。」

職場のジョンのPC画面がピンク色だったことを思い出す。僕はジョンの目を見つめ、笑いかけてみる。ジョンは、一瞬こっちを見ると微笑み返してくれたがすぐに目をそらす。そして、急に腰を上げた。

「そろそろ良い時間帯だ」

「なんのです?」

ジョンは赤らめた頬を保ったまま、壁にぶら下げられている時計に目をやる。少しの間時計を見ると、手をポケットに入れてボソッと声を出す。

「同居人のボブが帰ってくる」

「先輩、一人暮らしじゃなかったんですか?」

「つい最近な、始めたんだ。ボブとの暮らしを」

各国では容認されはじめその勢力も徐々に拡がりつつある昨今の同性愛者たちは、彼ららしく生きるために好きで生まれ持ったわけでもない性癖と対峙しながら葛藤を重ねて、今では敵対的というよりむしろ協調的に上手く器用に付き合っている。日本でも最近渋谷辺りでも同性愛者保護法が施行され、拡がりは止まらない。この話をジョンから以前聞かされた僕は不思議と肩の荷が下りたようにすっと体が軽くなった。そして、そんな新しい自分を引き出してくれたジョンに対していつからか尊敬でもなく友情でもなくまた別の感情が湧いていることを気づき始めていたのだ。

「それは、ご挨拶しないとですね」

同性愛者にとってこの世がまだ住みづらいことは変わらない。少しづつ許容の幅に拡がりつつあれどが、通常の性癖の人よりか肩身が狭いのは僕の場合は同じだ。だから僕はジョン先輩をこのままずっと、ボブの存在を知った今でも大切にしていきいと思うのだ。

「帰れ」

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