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タワーリングインフェルノに見るdisaster問題の変遷

パニックムービーの祖と言われている名画です。火事映画の祖とも言われていて、後のバックドラフトにも影響を与えたと言われています。ポール・ニューマン、スティーブ・マックイーン、フェイ・ダナウェイと役者も揃っています。それにしてもスティーブ・マックイーンの消防士のジャケットのかっこいいこと。これは日本でも流行している英国王室御用達のバブアージャケット(ユニクロもオマージュ服を販売してますね)をモデルとした服です。

バブアーは結構高級品で、私も持っていますが、連れ合いから高い高いという文句とともに「質の良さは認めるけど、それってかっこいい人が着る服なんじゃないの?」と言われ、自分も「いや、そんなことない。これは100年以上続いている、誰が着てもいいトラディショナルな服なんだ」と言い張ったものの、図星を突かれたなと感じたのを鮮明に覚えています。それから5年後劇場版コードブルーにて山Pがラストシーンで着ていたのですが、それもかっこよかったです。そして今回スティーブ・マックイーンを見て、改めて「そういう服だった」ということが分かりました。捨てたほうがいいかもしれません。

 さて、内容ですが、本作は後に続く火事映画、ユニバーサルスタジオジャパンでもお馴染みの「バックドラフト」に多大な影響を与えたと言われています。ただ「バックドラフト」はあくまでもエンターテイメントとして、対岸の火事的に「あっち側で火事が起きているなあ」と観られる映画です。「ノルウェイの森」で遠くの火事を見ながら主人公と知り合ったばかりの女の子がキスする場面がありますが、そんな感じです。ウィリアムボールドウィンの甘いシーンもありますしね(そして前回熱く語った女性像を演じるヘレンハントもいます)。
 しかし本作はもっとリアルでドキュメンタリーにも近いかもしれません。礼儀正しく振舞っていても死ぬ人もいるし、自分勝手な人も死にます。消防士の本分を果たすのかどうか、仲間を助けたい、などそのときどきのぎりぎりの判断とアクションでは手に汗を握ります。ビルのオーナー、市長、設計士(ポールニューマン)、その恋人など、それぞれが自分の社会的な役割に忠実であろうと行動をしていくところはやはり信仰を持っている西洋人の規範意識かもしれません。
 この辺りの社会的役割(ペルソナ)が重視される点は無宗教の多い日本人と少し感覚が違うかもしれません。例えば「俺の心に忠実に」「俺の心の声は何と言っている?」と心の中身でうじうじしている日本人の典型がいますよね。漱石の「こころ」のKや大友監督「AKIRA」の鉄男など。勿論それに対置される「こころ」の「先生」や「AKIRA」の「健康優良不良児」がいるのですが、彼らはうじうじもしていませんが、かといって何を考えているのかよくわからないところがあります(長嶋茂雄や大谷翔平も実はそういうところがあるかもしれません。だからみんな好きなのかも)
 自分も陥りがちなのですが、リスク管理などできないようなdisaster状況で大切な人を守るときはうだうだ言ってちゃダメよね、と思わされます。ポールニューマンやスティーブ・マックイーンのように自分の役割を信じてJust Do it ですな。

 最近私は若い女子社員たちから、1人で責任を負うのは、とリスク分散のため、「せんぱーい、一緒に入ってください」と甘く言われて、できる男を演じようとほいほいクライエントとの面談に同席しているのですが、こういうのはただの、じゃすと どう いっと なのでしょうね。しかもノリでOKしてしまったがために、この前はダブルブッキングでした。

 さて、本作を観ていて思ったのは、タワーなビルでのアクションが実にダイハードに似ているなと思いました。本作ではタワマンはバベルの塔のごとく人間がこんなの建てちゃっていいのかな、という疑念のもと、どんどん人が死んでいきます。そして目先のお金に惑わされずに安全へのコストをちゃんとかけないとダメだよ、防災のプロの意見も聴いて設計しなよ、と教訓的なラストになります。一方でその20年後くらいのダイハードではタイトルのごとく、なかなか人は死なないんだぜ、とだいぶ楽観的なタワマンへの意見にも見えます。きっと安全のノウハウが進歩したんだなあ、と。21世紀にはタワマンを舞台にしたdisaster映画はなくなるかもしれませんね。disasterが管理したり分散したりできるリスクに変換されたのかもしれません。
 ドクターヘリで山Pが助けてくれる。多分。

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