恋人たちの予感と禁止の禁止
若いときに観たときはあまり面白いと思わなかったのですが、azushi.317さんのインスタのレビューを観て、もう一度観たら面白かったです。
ロブライナー監督はスタンドバイミーでリバーフェニックスと主人公の男の子とのある意味で同性愛的なものと友情を描いていると思います。それとは対照的に本作では愛と異性の友情を描いたとも言えるかもしれません。
愛と友情。多分本作が出るまで、この両者が同時に成立するの?みたいなテーマってなかったんじゃないでしょうか。スタンドバイミーのように同性の愛と友情では夏目漱石の「こころ」などにそのテーマが現れているようですが(先生とKが自然のままでいると、同性愛になってしまうし、それで異性愛として下宿先の娘さんを奪い合うことでやはり自然のままでいられなくなることを描いたのだと吉本隆明は述べていましたが、諸説あります)しかし、愛と異性の友情という逆パターンはありそうで実はなかったかもしれません。
ただ、男目線で見ると、ビリークリスタルは出会った初めからメグライアンに惹かれていたようにも見えます。ビリークリスタルはメグライアンに「そういうことをしたいと思わないけど魅力がある」と言って並木道を寄り添って歩きます。でも「そういうことをしたい」と思わない人はそもそも「そういうこと」を話題にしないんじゃないでしょうか。
さて、男と女の友情って?それが成り立つかどうかは人によって違うかもしれません。私はこの映画は恋愛ドラマの「禁止の禁止」を描いた珍しい作品だと思います。大抵の恋愛ドラマは「禁止」だけですが、この映画は「禁止の禁止」を描いています。お互い、初対面の印象から嫌いあっていて、友達になる、仲良くなることの「禁止」があります。そして嫌いなはずなのに友達になるなんて、これは親友に違いないとなります。
禁止を破ったのだから親友に違いないと思い、二人は仲良くクリスマスツリーを運び、パーティで踊ります。そのダンスで二人は気づいてしまいます。二人のその視線の名演技たるや、観てのお楽しみです。そして親友同士が結ばれてはならないという二つ目の「禁止」スイッチが起動されます。(大昔の映画は性的な表現が倫理上一切できなかったので、そういうシーンは全てダンスシーンに置き換えて表現されたのですが、ロブライナー監督はそれを踏まえて撮ったのではないでしょうか)
恋愛って実らないためにある。ドライフラワーのほうが便利なのに、絶対に枯れてしまう生花のほうが美しく、水をやる喜びがあります。「ダイヤモンドよりバカラグラスのほうが好きなの」と、したり顔の人、当たり前です。壊れてしまうイメージを想像するからこそ美しいのです。
「禁止」を破って作りあげた友情によって生まれた「禁止」をさらに破る。これはもう壊れてしまうイメージが異次元としか言いようがないですね。その壊れてしまうイメージがあるからこそ恋に落ちるという展開。どんなダメンズやどんなファムファタルに引っかかるよりも「禁止」の度合いが強いかもしれません。まさに倍返し。
それにしてもビリークリスタルの謝るときのかっこよさ。これは男としては勉強になります。ああいう潔さは見習いたいものです。そして走れメロス的に走り出すラスト。友情?愛情?
メグライアンの大学生時代のちょっとあか抜けない感じから後半の知性を背景にした服の着こなしがお洒落です。二人の会話もウィットに富んでいます。そしてマンハッタンの街並みも素敵です。
あまり難しく考えるのは「禁止」にして、美しい街を登場人物たちと散歩して会話してダンスして追体験するくらいの気持ちで観て、十分楽しいと思います。
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