「秘書」専門職のパフォーマンスを最大化する助け手
この文章は、2019年にKGK(キリスト者学生会)の卒業生会誌 コイノニア の「仕事の神学」という連載記事として掲載されたものです。様々な分野で働くクリスチャンが、自分の仕事をキリスト教の視点から「神学」するというもので、自己紹介がわりに載せておきます。
秘書の業務は、その組織やサポートする相手によって全く内容が異なってくる。私は専門職事務所で秘書をしつつ、30人弱の秘書たちを統轄している。同じ専門職であっても、定型書類のドラフトをしてほしい人、接待のレストランを探してほしい人、メールのやり取りに全て秘書を入れて言わば「伴走型サポート」を期待している人、逆にできるだけ自分で完結したい人。外国人であれば病院を探したり公共料金の支払いなど、生活面でのサポートが必要な人もいる。
秘書を必要とする人々は、何らかの資格や専門技能を持っていたり、組織のリーダーだったり、その本来の職務に最大限のパフォーマンスを発揮することが期待されている。(教会や宣教団体にも秘書がいたらいいとよく思う。) その妨げになる事、ざっくり言えば面倒なことは人によって違うのが当然である。可能な限りその面倒ごとを引き取っていくのが、秘書の醍醐味である。
神は人を創造した時、人のためにふさわしい助け手を造られた。神の創造のわざに労働という形で参与する人には、その働きを補完する存在が必要だった。これは秘書の究極の姿とも言える。(ちなみに男性の秘書も珍しくはなく、助け手の特性を持つのが女性であるとは限らない。)
秘書にも、それぞれ個性と得意分野がある。これが相手の必要と合致すれば幸いだが、そうではなくお互いに辛さを抱えることもある。また、互いの仕事への敬意が失われると関係は容易に壊れてしまう。そのような時に私はスーパーバイザーとして介入し、必要なトレーニングをしたり、場合によっては担当を変えることもある。話を聞く前には、知恵と謙遜と愛が与えられように祈る。クリスチャンとしてこの職場に遣わされ、人々が喜んで働けるような環境を整える役割を与えられていることに神様の摂理を思う。
近い将来にAIに代替される職種として秘書がランクインしているのを見たことがある。反対に秘書業は残るという議論もあり、機械に代替されない秘書のスキルは、①ホスピタリティ(相手の状況を察知して、最善のサービスをすること)、②交渉力(相手の要求がそのままではかなえられない場合に、最善の代替案を実現させること)と言われる。私は、これらは「人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。」というイエスの言葉に従うことで自然に磨かれると感じている。
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