『Where there is will , there is a way. 〜どんな時も前を向けたら〜』#6
Episodio 6:Historia de fútbol #940
2024年11月16日(土)
術後942日目
本日は少々長いですが、お付き合い頂けたら幸いです。
【Fútbolのお話#940】
今シーズンをもって“サッカー選手”を引退する事にしました
5歳くらいからサッカーには触れていたと思うので、30歳までの約25年間。
サッカー選手としての自分の可能性と自分の未来を信じてプレーして来ました。
別にサッカーに限らず、スポーツをしている選手にはいつかは来るものなので、珍しい事では無いと思いますが…
一応、記録として。
【サッカー選手としての自分は…】
そういう決断をした理由は。
いくつかありますが…
1番は『サッカー選手向いてなかったな』って自分て思ってしまったから。
分かるまで25年も掛かりました…
5歳からサッカーを始めて、
僕はいつも『誰かを想って』プレーしてました。
『サッカーをしている自分の為に』というよりもそこにいてくれた方々の事を頼まれてもないけど、勝手に想い。
そこに人生を懸けて、『生きがい』を持って来ました。
ずっと。
サッカーで言えば、
恩師
チームスタッフ
チームメイト
クラブ
ファン
サポーター
スポンサー
地域の方々
応援してくれるチームのアカデミーの子供たちと
そのご家族
プライベートで言えば、
家族
親族
友達
好きな人
とかとか。
僕は自分の為だけにサッカーはしてなかったというか、出来ませんでした。
全然評価されなくて苦しい時も。
Jリーグでプロサッカー選手として『何としても活躍したい』って思った時も。
うつ病や脳腫瘍。命に関わる病気をして、『サッカー選手に戻るなんて』と言われた時も。
辛い時にはいつも誰かがいてくれて。
その方達が『俺がやってやるんだ!』って。
自分を頑張らせてくれてたんだなと思います。
自分の為にやってるつもりだったけど。
誰かを想ってサッカーすることが。
結果、自分の為になっていただけなんだと。
今思うと、自分の力なんて全く無かったし。
だから自分はサッカーをここまで続けられたんだと思います。
もちろん、『自分の為』と思っても、誰かへの恩も感謝も忘れた事は1度もありません。
ただ。
病気をした事やサッカーでもプライベートでも色んな事があって。
『自分の為に頑張らなきゃ』と思った時。
自分自身の中でその気持ちのウエイトが高くなった時。
何だか力が入らなくて。
何の為にサッカーしてるのか分からなくなって…
プレーする事が楽しくなくなって。
サッカーをしてて、初めての感覚でした。
サッカーをプレーする上で色んな事を『好きだからやりたい』から『やらなきゃいけない』に変わってきてて。
『自分の為に頑張れない奴』『プレーする事が好きから義務になってる奴』なんてアスリートじゃない。
これは多分、僕の信念で。
どうしても曲げられませんでした。
いつしか『良い選手』と思ってる像に自分がいなくなってました。
ここ数ヶ月間ずっと考えてました。
『何でいい選手になりたいのか』
『何で上手くなりたいのか』
その先に『自分自身の未来の為』というのはどこにもありませんでした。
【僕を支えてくれた2つの言葉
〜『苦労は買ってでもしなさい』『成長するんだったら苦労したらいい』〜】
自分にはサッカー選手は向いてなかったなって思います。
『自分にはサッカー選手しかない』って。
『この生き方しかない』って。
ずっと信じて疑いませんでしたが。
25年かかりました。
向いてないのに必死になってたんだな…
こんな終わり方なんだ、俺は…って。
少しだけ悲しい気持ちにもなりましたが。
何でもそうですが。
やってみないと分からない事もあります。
やったから分かることもあります。
ただ、
どんな時だって。
“サッカー選手”にこだわって必死に足掻いて続けてきたから。
出会えた縁もあったし。
分かったこともある。
自分が人生で大事にしなきゃいけない事はそういうところだと思ってます。
『Jリーグでプレーしてたから』とか
『幼少期から20何年も続けてきたから』とか
そんな経歴やその人を纏ってるものは、全くもって何の関係もなく。僕くらいの経験じゃきっと効力を成しません。
その人が『今』。
『何をしようとしてるのか』
『どんな想いで何をしてるのか、したいのか』
そんな『想い』の部分を大事にしたいなって思うし、どんな形であれ。どこにいても。そうやって『想い』を大切にして必死に戦ってる人が僕は好きです。
きっと、その『想い』が成長や成果・結果を連れてくると信じてます。
ありがたいことに、運良く幼い頃からの夢だったプロサッカー選手にはなれましたが、Jリーガーになれたことも含め、『サッカー選手』という肩書きはいつか外れます。
何者でもない“赤星雄祐”という人間として。
『人として価値があるのか』それを持って生きて、社会で戦っていかないといけないわけです。
プロサッカー選手でいさせてもらったことも。
こんなに長くサッカーをさせてもらった事も。
特に自分自身に何か価値をつけるものでは無いです。
別に何の力も発揮しないんだなと思います。
それでも僕は自分でも知らぬ間に、その辺も色んな事を期待してしまっていたのかもしれません。
それよりも。
毎日苦しくても、必死に足掻いて、身につけたもの、手にしたものがこれから生きていく為の自分の武器になって欲しいなと思います。
人は『見えるもの』にも『見えないもの』にも傷つけられるし、逆に支えられたりもします。
だから。
分かりにくいかもしれないけど、『見えないもの』をちゃんと見ようとして、理解しようとして大切にする事。
『目に見えるもの』は、当然見えるから誰でも分かるし、頑張れる。
だけど。
『目に見えないけど大切なもの』
自分の事も大切な人の事も守って支えられるもの。
ちゃんと気づけるようになりたいし。
色んな面で人と大きく差を付けるならそこだろうなと感じてます。
祖母や母から昔言われた『苦労は買ってでもしなさい』っていう言葉の意味がほんの少しだけ分かった気がします。
それから僕がESPERANZA SCに入団が決まった時、現U-17中国代表監督で僕の恩師である上村健一さんが仰ってくれました。
『雄祐が成長するために苦労が必要なら苦労したら良い。一生懸命戦ってる雄祐の姿を見てみんな応援したいって思うんだよ』
一言一句同じではありませんが、この言葉に何度も助けられたと思います。
辛い時ほど。苦しい時ほど。目の前の事から逃げ出したくなる時ほど。
『大丈夫。大丈夫。今苦しいのは無駄じゃない』
って言い聞かせて。
焦り、落ち込む自分を必死に落ち着かせて
この言葉にたくさん助けられました。
人は辛い時、傷ついた時に足掻き、苦しむ中で成長し、その人の価値が高まると思ってます。
その価値に気づくのは、もしかしたらずっと先かもしれません。
もし仮に『自分に価値が無いな』と感じたら、もしかしたら辛い事や苦しい事が自分には足りないのかもしれないなと思ってます。
【『自分で』決めるという事。】
生きてると色んな人と出会うし、色んな経験をするから。
一生懸命生きてるだけなのに。
公私共に。
『出会わなきゃ良かったな』と思う人も。
『サッカーしてなければ』と思う事もあります。
めちゃくちゃ傷ついて悔しいけど。
自分が自信をもって歩んできた道も『間違ってたのかな…』と悩むことも屡々です。
どれだけ信じていても、自分の人生に絶望・失望させられるような、裏切られたような気持ちにさせられることだってある。
生きてたら色々ありますよね…
ただこの生き方を選んだのは『自分』だということを忘れてはいけないです。
⚽️大学卒業後、安定した就職を選ばず、アルバイトしながらでも、プロ選手を目指し、サッカー選手でいることを選んだのも。
⚽️プロサッカー選手をクビになった後、海外挑戦に失敗しうつ病になった時も。
⚽️脳腫瘍の手術をして、左半身麻痺、両眼複視、高次脳機能障害など色んな後遺症を残した時も。
⚽️たとえ勘違いだとしても。
⚽️根拠ない自信だとしても。
⚽️『まだまだやれる』って
『俺にはサッカーしかない』って
足掻く事を選んだのも。
⚽️人よりも秀でた才能なんて無い事は分かってたけど、『自分がプレーすることで笑顔にしたい人がいるから』っていう理由だけでここまで来る事を選んだのも。
どんな時もサッカー選手でいることを選んだのは『自分』だということ。
それが《俺の幸せ》だと『自分』が信じていたということ。
だから。
その道中での嫌な事や苦しい事はちゃんと受け入れなきゃいけない責任があります。
そしてそれを持って前へ進まなきゃいけないです。
いつだって『自分』が決めてきたんだから。
だから今回も。
『病気が』とか。
『周囲に何か言われたから』とか。
『経済的に』とか
ではなくて。
素直な気持ちと大切にしてる事とちゃんと向き合って。
『自分』でこの決断をちゃんとしようと思いました。
この決断も。
いつかは『自分』でしないといけないので。
先程もお話したように、スポーツをしているアスリートにはいつか訪れる事なので珍しい事じゃないことも重々承知の上です。
それでも。
この決断が決して小さなものでは無いという事。これまで信じてきた『選手』としてのこれからの可能性を全て失う訳だから、大きな勇気を持って決断をしたという事。
別に他人にとっては何でもない話です。
自分の想いとか。選手としての自分とか。
忘れる奴は忘れます。
僕自身も覚えておいて欲しいなんて全く思ってません。
他人には期待してないです。
ただ。この決断を『自分で』したという事。
この瞬間の気持ちは。
分かってくださる方だけが。
最悪、僕だけでもずっと忘れないようにしたいなと思います。
何かのせいにしたり、誰かのせいにしたりすれば、その瞬間は楽でも絶対に後から後悔することも。
人生で1番辛いのは『後悔する事』っていう事も。
僕は知ってるから。
過去の経歴や功績が大事なのではなくて、常に未来を見据えた上での『今の自分』が大切で。
だから。
今、未来に向かって前を向いている人には。
どんな場所にいても、どんな人にも、
その時だけは。
チャンスってあるんだと思います。
僕が『どんな時も前を向く事』を大事にしてきた理由はそんな事を信じていたからだと思います。
能力も低く、才能もセンスも無い自分が『どんな時も前を向く事』で一度はJリーグでプロサッカー選手としてプレーさせて頂いた事を振り返っても、それは間違いないなと思います。
僕がどうしても手にしたかった理想へは。
自分には手に出来ないもっと必要なものがきっとあったんだと思います。
サッカーセンスや才能。それ以外も。
母親によく言われてました。
『“辞められたら困る”って言われるような人になりなさい』って。
チームも。仕事も。
それを言われるには。
サッカーや仕事のスキル?人間性?
その他にも色々あると思いますが。
どんな形であっても【必要とされる事】が大事なんだと思います。
負けても平気な奴もいます。
良いプレーして勝っても、納得してなくて自分を責めて落ち込んでる奴もいます。
どちらが良いとか悪いとかではありません。
叱咤したり。激励したり。
時には自分のプレーや振る舞いを見せて仲間に奮起してもらうことも。
起きた現象とその人と自分がとってる言動の『善し悪しの判断が間違いなく出来る目』は必要だけど。
『今、自分が必要だと思う事を後悔のないように勇気を持って実行する事』が大切だと思います。
僕はまだまだ未熟者です。
だから。
人は『自分さえ良ければいいと思ってる』生き物だって。
『その為なら他の人を裏切ったり、傷つけても構わない奴もいる』と思ってる節があって。
公私共に色んな経験をさせてもらって。
もちろん、全員がそんな人ではないですけど。
今はそう思ったりしてます。
いつしか人を信じられなくなって、人にも自分にも期待するのが怖くなってるところもあります。
自らも最低だなと思います。
でも矛盾してるようですが。
どこかで。
『違うよな』『そうじゃないはずだろ』って信じたいのも事実です。
自分の事を大事にするのは素晴らしい事です。
ですが。
自分の事と同じくらい他の人や属している組織を大切に思う事は、もっと大事だと思います。
人は“環境”や“関わる人”で良い方向にも悪い方向にも創られていきます。変わってしまうことだって容易にあります。
それは大人も子供も同じです。
たとえ短期間であっても、薄い付き合いであっても、自分は目の前の誰かに影響を与えていることを、自分も含め、もっともっと知る必要があります。
大事ですよね。
もちろんそれを言われる為だけにやってきた訳では無いけど。
『今このクラブに必要な事は何かな?』
『自分に出来る事は何かな?』
とまず考えるようになったのは、よくこれを母親から言われていたからだと思います。
それから。
何よりもこんなに長く大好きなサッカーをさせてくれた両親👨👩👦と弟妹👨👧👦と2匹の愛犬🐶🐕
それから恩師の上村健一さんと永尾健次さんには感謝してもしきれません。
アカデミー時代。思春期の自分がめんどくさい選手であった時も。
命を懸けた病気をした時も。
プロをクビになった時も。
なかなか評価されずにプロになれなかった時間が長かった時も。
苦しい時もいつも味方でいてくれた事。
自分が自分らしくいられる為には、家族や上村さん、永尾さんの存在は必要不可欠だったなと思います。
彼ら彼女らがいなければ僕は今生きてここにはいないです。
『恩返し』
こんな言葉で片付ける事は絶対にできませんが。
いつか自分の大切な人にとって『必要な人』になれるようにと思います。
【こんな自分と関わってくださった皆様へ】
こんな自分と出会って下さった皆様のおかげで25年間もサッカー選手でいられました。
自分でこの決断をして。
大好きな人へ、お世話になった方へお電話でも良いから、ちゃんと直接お話しようと、お礼をお伝えしようと思った時。
ありがたいことに100人以上いました。
色んな理由で連絡できない人もいましたが…
こんなに多くの人が自分に大好きなサッカーを続けさせてくれたんだって。
自分に人生をかけてサッカーをさせてくれたんだって。
僕が連絡をさせて頂く方達はみんな優しくて素敵な人です。
だから。
『夢を見させてもらったよ』って。
『元気もらったよ』って。
『夢も叶えて、こんなに長くサッカーした人はサッカー向いてるよ』って。
『力になるから、これからも一緒に頑張ろう』って。
言ってくれる方ばかりで。
僕が人生をかけてサッカー選手でいたことを知ってくれてるから。
この決断が決して簡単では無いことも理解してくれて。
改めて。
自分は周囲の方々、皆さんに恵まれてるなって思います。
もしかしたら。
こんなに長くサッカーを続けてさせてもらって。
僕が得られたものは。
サッカーのスキルでもサッカーIQとか戦術眼、Jリーグでプレーしたという経歴でもなくて。
こういった素敵な方々と出逢えた事なのかなと思います。
Fútbolは僕に人として大切な事を教えてくれ、育ててくれました。
重ね重ねになりますが、出会って下さった皆さんがいてくれたのでサッカー選手として頑張れました。
自分の為だけには生きられなかった自分を生かしてくれた皆さんに心から感謝してます。
もちろん、サッカー選手を辞めるからって縁が切れるわけでは無いので。
これからもお付き合いさせて頂きたいなと思います。
未来の事は何も分かりませんが、いつだってそうだったから。
何をするにしても縁やタイミングは必要だと思いますし。
それに運も必要かもしれません。
ただ。
【自分の力】を付けることは、誰でもいつでも出来るから。
それは選手と一緒で。
どんな境遇にいても皆さんと一緒です。
またどこかで皆さんとお会い出来ることを楽しみにしたいです。
出会ってくださった皆様。
本当にありがとうございました。
長文失礼しました。
【今日の言葉】
選手としての最後は。
僕が『選手として』
そして。
『人として』ここまで生き続けてこられた大きな理由の1つでもありますが。
今も辛い時に思い出す。自分に言い聞かす。
僕を動かしてくれる“座右の銘”みたいな感じです。
いくつかあります。
全てが今の弱い自分と戦わせてくれました。
それはこれからも変わりません。
恩師であり、父親のような方。
尊敬して愛して。
人生で初めて『こんな人になりたい』と憧れと尊敬の眼差しでそう思わせて下さった方が初めて出会った中学校3年生の時から僕に下さった言葉にしたいと思います。
この方と出会ってから、自分の為になると思った事はすぐにメモしてました。
練習場にもメモ帳とペンを持って行ってましたね。笑
自分のモノにだけにしておくのは嫌なので。
分からないものは調べてみてください。
『・雑草のように強く
・不退転の決意
・意志あるところに道あり
・ケ・セラ・セラ
・不撓不屈
──────上村健一』
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