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私事 1994年の憂国忌(2)

(1)に続く

1994年、私はジャーナリスト専門学校の3年生で、いま防衛省のある市ヶ谷で起きた自決など、授業を通じて「三島由紀夫」が身近な事柄になった。所属していたゼミの飲み会をきっかけにして知り合い、勉強会への参加や後に他の学科ながら講師を務めるようになった鈴木邦男と、縁を得たことが大きかった。鈴木は当時、朝まで生テレビや小林よしのりが週刊誌「SPA!」で連載していた「ゴーマニズム宣言」などで、「新右翼」の論客として取り上げられていた。新右翼は、これまでの右翼とは異なり、反米や民族主義の色合いの濃いものだった。鈴木を通じて、メディアを通じて西部邁など論客の姿を聴くことができた。

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