宝塚星組RRRパワハラいじめ文春砲を「記憶にございません!」にしない
パワハラ『RRR × TAKA"R"AZUKA ~√Bheem~』の影響はよくて疑心暗鬼、最悪、大惨事の覚悟がいる。
『VIOLETOPIA』のパワハラ含め星組についてリークは既にあった。ただ生徒からではなさそうな内容だったのだ。しかし新人公演の告発で、警戒心が強く慎重なリーク者と知った。
観客は隠すのが上手いトップや、目立つスターが元気そうなら安心してしまう。組を構成する多くの生徒のことは、目に入っても見ていないのが現実だ。
RRRパワハラ記事が出た『夜明けの光芒』の千秋楽は、宙組公演の再開日だった。本命は宙組のリークだったのに無かったなら、どの組もリーク者はせいぜい1人なのかもしれない。
だからこそバレたら袋叩きにあう。
「このままでは第2の飛び降り事件が起きる」という星組生の発言は己の身を案じたのだろう。
『記憶にございません!』をどんな気持ちで聞いているのだろうか。
宙組再開公演は若干タカラヅカスペシャル状態のようだが好評で、次の大劇場作品も発表された。『FINAL FANTASY XVI』が無理なのは仕方ないが、不安になる当て書きである。
芹香斗亜が富豪の息子、おそらく天彩峰里がキツい性格の婚約者で、結婚を逃れるために奮闘するストーリーのようだ。週刊誌に散々叩かれた内容を元に書いたとしか思えない。
で『シラノ・ド・ベルジュラック』は「報われるフロリアン」であったことを思い出した。
『霧深きエルベのほとり』にも報われた匂わせはある。しかし宝塚的には、割り切った業務的な並びより、心が通じたシラノのラストの方が報われている。
何より「轟悠なら兄ポジションからでも報われるのか」と思った。
兄として振る舞い、心を許したところで恋人にという話は意外と少ない。
光源氏と藤壺の女御のような描写は多くガッツリやる一方、紫の上のように兄の顔して近づいて(油断させて?)というのはあっさりしている。
令和ではファンタジーだが昭和だと現実的な上に、基本娘役が下級生なせいかリアル過ぎると避けがちだ。
(なお誰もが望んだ「いつかシュザンヌを愛するフロリアン」は『Le Rouge et le Noir ~赤と黒~』。
新公マルグリットとシュザンヌを演じた有沙瞳で「やっぱり報われないショーヴラン」も合わせて味わえる。詩ちづる演じるマチルドの想いが実った時、シュザンヌが報われた感覚になった。
『BIG FISH』は回を重ねる毎に、虚構はより嘘っぽく、現代はよりリアルにとコントラストが効いていた。
一方赤と黒は回を重ねる毎に「礼真琴を通した有沙瞳と詩ちづる」が一体化し、2幕が1つになっていたのだ。)
どんな演目も「初演が最強」ではあるものの、役という人格に救われることは多い。
『霧深きエルベのほとり』はだいぶ空いての再演で上田久美子の采配もあり、最も印象的な礼真琴だ。以降はだいたい阿弖流為っぽい役だが、だからこそ不動の地位にいる。
「お兄様してる礼真琴」をやるまでは宝塚にいて欲しいからこそ、ここまで観続けられた。
『BIG FISH』が良かったのは、宝塚の良い面を綺麗な関係性に重ねリアルさを生かしたからだ。一方確執はフィクションと信じられる相手だったからこそ、心から楽しめた。
しかし他の宝塚作品は何故か、悪い面はリアリティーを出し、良い面はフィクションにしがちだ。
そもそも全組「上級生が下級生を苛めるパワハラ描写」に躊躇が無さすぎる。
せめて下級生を加害者役にすればいいのに、当たり前過ぎて麻痺しているのが見えてしまう。
もちろん中身のある物語にするなら、パワハラやイジメ描写は避けきれない。原作の選択肢を大幅に狭めてしまうため、そこは諦めないで欲しい。
大切なのはどうフィクション性を出し、エンタメに昇華するか。
映画が話題だった『わたしの幸せな結婚』のように、典型的なシンデレラストーリーも最近は「妹に虐められる姉」にしている。
弱い立場になりがちな方を加害者にすれば、フィクション性を高め物語に入り込める。役者もやり易いのだろう。
一方でスター人生を公表し、売りにしている劇団は希少だ。誰もが同期や予科本科といった、ビジネスが始まる前の絆を持った相手がいる。
生え抜きや出身組など、象徴する要素も事欠かない。
良い面はリアリティーを出せるだけ出して、センシティブで危うい描写は絶対的なフィクションで安心感を出す。
宝塚歌劇団のシステムならそれが出来るのに。
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