島耕作の年表で生きてきた人に会った話。
その人は、島耕作の年表通りに生きたくて、
ある程度まで行き、会社のいろんな都合で社長にはなれないとスパッと転職をしては俺に不可能はないという自負と努力をもとに、次々と成果を出している方でした。
今度60歳になるとのことでしたが、見た目は完全に41、2歳。
もうお孫さんも何人かいて、
大学はレベルよりも可愛い女の子がいる方を選び、
女の子がたくさんいるという理由で大手の会社に入り、
女の子を口説いては次の日忘れてまた同じ内容で口説いてしまうような人だけど、自分が大好きで、奥様も大好きで、家族を愛していて、素直な絶対的な自信を持っている素敵な方です。
そこで見つけた答えがあるそうです。
僕は女の子が大好き!
ずっこけそうになりましたが、久々に生き方がパンチ効いてるなと思うようなキャラクターの方でした。
漫画は読んだことはないのですが、なんとなく知っていました。
お母様が、素敵な方のようで、何がというと、
お前はなんでもできる
絶対大丈夫だから
次々と好きなことをしてみなさい
と言うふなことを、生まれた時から徹底的にいい意味で洗脳された方です。
根拠のない自信と行動力が合わさるとき、こんなにも力を発揮するんだと思い知らされた人でした。
生まれながらにして、素質と環境、肯定感、行動力が自然と身につけられたのでしょう。
私もなぜか、根拠のない自信は昔からすごくあり、それに従って生きてきましたが、臆病さや、疑心暗鬼、行動力の弱さはちょくちょく顔を出してきます。
ぴこぴこハンマーでもちょっと無理かなっていう時も。ワニワニパニックって感じです。
そして、自分はすごく運がいいと思うし、何が起こってもそれだけはそう思うようにしてるし、思えます。
自分に問いかけてそこに疑いがない時、呼吸がしやすくなります。呼吸のしやすさで、
あ、これは本能的に信じていることなんだ、とかの判断をします。
信じたくても疑いがあって信じきれなくなるときは呼吸が苦しくズー〜んと重くなります。
私は、愛された肯定感と、社会(幼少の、人や外の世界と交流が始まった時点)に出てから知った人の怖さや不信感や否定などで、またそこを克服しながらも理想と現実の葛藤の間寛平になっている部分なのかもしれません。
誰かが死ぬたびに、
誰かが生まれるたびに、
何かに心が揺さぶられるたびに
自らの神秘や、この世界の神秘的な部分を感じ、もう一度、あらゆる角度から生きなおそうと誓うのですが、時間が経つと忘れてしまいます。
日常では忘れていないのですが、ふとそれを思い出すようになる時が忘れている時です。
私はきちんとあの時の気持ちを持てているのだろうか、薄れてしまっただけなのだろうか?と。
あの日の感動と確かに感じた震えるほどの気持ちは今でも昨日のように覚えてるのに。