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長電話 日記

LINEより電話が好き。LINEは既読スルーばかりしてしまう。返事をささっと送れる時と送れない時がある。でも電話は、相手の声で状態がわかるし、何よりおしゃべりが好き。今日電話した知人は声が沈んでいた。上司から生まれ故郷を暗に揶揄されたらしい。許せないね。と思ったけど、知人は傷つけた人間側の背景を推測していた。私もどういう理由でそのような言葉をもって他者を傷つけたのか推測した。ある結論が出た。でもただの推測でしかない。現代社会は残念ながら競争社会なので生きているだけで、傷ついたり押しつけられたりないがしろにされる。その傷を負ったままでも、強い人はその傷に向かい合うことができる。ズダボロになってでも、なんとかよくなりたいと思っている人たち。私はそういう人を尊敬する。自分の傷や過去、すなわち自分自身に向かい合うのはそれ相当の覚悟がいる。場合によっては、死ぬほど辛い。
でも傷や過去に向き合うことができず、そういった怒りや恨みを相手にやすやすとぶつけてしまうタイプの人間もいる。無様になるのが怖くて。人の目を気にして。私もどちらかというとそちら側の人間だったからよくわかる。でもそういうところにいると泡のように負の連鎖が生まれる。それを想像することはできるけれど、残念ながら寄り添うことはできない。弱いから、とかで片付けたくない。だって人間の心なんか強弱で測れない。差別主義者の背景は理解できても共感はできない。だってその傷や弱さはあなたのものだ。あなたでしかあなたをわかってあげられない。そういう意味では残酷だなとは思う。でも、やすやすと他人にぶつける前に負の連鎖を止めることは、誰にでもできると思う。そういう意味では、人間は本来とても強い。
一番大事にしてあげなきゃいけないのは結局自分。他の誰でもない。自分の弱さやずるさも受け止めてあげられるから他者を許せる、そういう大人になれるのに、何歳からでも遅いということはないはず。尊敬する方が言っていた「完全な人間なんて、いない」。本当にそう思う。どうせしょうもない星屑みたいな存在が人間たちだ。意味なんてない。でもせめて、だからこそ最後まで自分だけは自分の味方でいたい。

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