12/11 第一次世界大戦

大阪から東京に来て1ヶ月が経った。

大阪に住んでいる人間は自分が大阪出身だということに謎のプライドがあり、東京に足をつけてまず最初に思うことは、東京に負けないぞ。という固い誓いである。

例えば「ありがとう」と言うところをわざと「おおきに」と言ってみたり、バイト先との会話で無理やりコテコテのなんでやねんツッコミをしてみたりといった具合である。

もし僕が大阪弁を喋ってることに気づいた東京の謎のばななづくめの組織が、僕を拉致監禁し、身動きを封じ、手で無理やり僕の口を動かして標準語を喋らせようととしても、僕は自分の口角の筋肉をムキムキにしながら抵抗して「なにしとんねんあほんだらぁ」と言い放ってやる予定だ。はやく謎のばななづくめの組織来ないかな。

大阪人には自分の言葉を守る使命がある。

本当は標準語を標準語というのもしっくり来てなくて、かといって東京弁という言い方もなんか田舎臭さが強すぎてしっくり来てないので、今後は「アニメ言葉」とかでいいと思う。東京の人たちはアニメ言葉で喋るんだよ、って言えばなんかすごくファンタジーな街みたいな気がするし。お台場にはガンダムもいることだし。

話がそれたが、こうして東京と真っ向勝負しに来た僕は3年前から東京に住んでいる大学の後輩とご飯に行った時、言葉を失った。

何気ない会話で「違いますよ。」と言った後輩。その「違いますよ」の音は、到底彼の口から発せられたとは思えないような低い「ち」から始まり、「がいま」まで階段を登るように徐々に高くなり、「すよ」で崖から突き落とされるような転落を見せた。

アニメ言葉だったのである。

「違いますよはこっちのセリフや!」

話の内容がなんだったかなんて覚えていない。ただ、そのイントネーションで「違いますよ」を言った時点でもう言った本人が間違えていることになるのだ。違いますよ、が、違いますよ、なんだから。例えるなら、水不足問題を考える会の会場の広場で、勢いよく噴水が水のアーチを描いているようなものだ。

共に戦うはずの大阪の同士が、違いますよって違うイントネーションで言っていた。

このショックは計り知れない。しかもさらに厄介なことは、完全にアニメ言葉になったわけではない。ベースは大阪弁なのだ。

つまり、本人はアニメ言葉になってることに気づいていないわけだ。これが私が最も恐れていることである。大阪弁を喋ってるつもりが少しづつ少しづつアニメ言葉に毒されていて本人は気づかない。

噛まれたてのゾンビみたいな状態だ。僕の後輩は噛まれたことに気づいていないゾンビになってしまった。本人は気づいていなくても外から見たらもう目は血走り髪は抜け落ち、人間の姿とは思えない。あとは全身にウイルスがまわり、本人が緑になった手のひらに気づいて震えながら叫ぶのを食い止められずに待つばかりだ。

いっそもうここで楽にしてやろうか、、、。

そんな葛藤を抱きながらも楽にしてやれずに1ヶ月がすぎた。

そんな中、昨日、ふらっと深夜に立ち寄ったコンビニでタバコを買ったのだが、「148番」とその自分の口から発せられた言葉を聞いて戦慄した。

「百四十八番」の最初の「ひゃ」の音が超低空飛行な声でスタートを切り、「くよん」は直角に上がり、「じゅうは」で凄い勢いで地面に叩きつけられた音は、「ちばん」で流しそうめんのように高いところから低いところでさらさらと流れていく。これが俺の口から発せられた音なのか?

気づけばわなわなと言いながら震えていた。

いつのまにか東京ゾンビウイルスに感染していたのである。

なんてことだ。あの時後輩を始末していなかったから、、

もう僕はこのままアニメ言葉になっていくのだ。

たった1ヶ月でこのざまだ。後輩より早い速度で進行し、一年もしたらアニメ言葉が極まって、アニメに出ているかもしれない。なんか魔法少女の横のふわふわした小動物役とかがいいな。


そんなことを、言っている場合ではない。俺の中の大阪のプライドが危機に瀕しているのだ。

僕は戦う、そして俺の中に築いた独立国家大阪国と東京都との第一児世界大戦の始まりである。




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