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死んだ方がマシだと思った〜コロナウイルスと就職活動〜




1.はじめに

2020年11月
私は就職活動という苦しみから解放された。
今思うと本当によく生きていたなと思う。

「コロナウイルス」という訳の分からない怪物のせいで私が想像していた未来など一切来ず、別世界にいるような現実が来た。

このnoteはあの苦しみを忘れず、そしてこれから何か高い壁にぶち当たり逃げ出しそうになった時のお守りとして残そうと思う。


2.家庭環境が生んだ夢

 

「日常生活を送る上で辛く苦しいことがあった時、

誰もが笑顔になれるようなテレビ番組が作りたい」


この夢は遡ること約10年前、私が中学1年生の時に経験した親の離婚がきっかけで生まれた。母と兄が家から出ていき、父と二人暮らしになった。

父と一緒に住むと決めたのは自分だったものの、家族が急に2人減る寂しさと、見ず知らずの家族が仲睦まじく街を歩いているのを見かけるたび胸が張り裂けそうになった。

一緒に住むと決めた父は毎日仕事が忙しく、顔を合わせる日は週末しかなかった。

朝起きる時も、夜寝る時も1人だった。学校から帰ってきても、もちろんおかえりなんて聞こえない。温かいご飯なんてある訳もなく、コンビニで買ってきたお弁当や冷凍食品を食べながらただ過ごす。こんな半独り暮らしの生活が約5年も続いた。


寂しい


中学1年生、まだ12歳。
家だけでなく中学に入ると周りの環境はガラッと変わり、ついていくのに必死だった。

思春期に入ってからの"孤独感"は今になって思い出そうとすると涙が出てくるほど辛く、大人になった今でもたまに夜が怖くなる。

唯一の逃げ場である学校も頻繁に休むようになり、3年間の欠席数と遅刻数は200を超えた。幸い、いじめられるなんてことはなかったものの、友達に親が離婚したという事実や寂しさを打ち明けることは一切無く、クラスメイトには"サボり魔"というレッテルを貼られていたに違いない。


死んじゃおうかな


ある時、突然そう思った。

何だか生きるのが辛くなって、自分が死んだら家族が心配してくれるのではないかと期待してベランダから飛び降りようと決意。柵に登ると普段見る景色より遥か遠くまでよく見えた。

どうしてこうなったんだろう

何でこんなに寂しいんだろう

誰でもいいから助けてほしい、

心の底から叫びたくなったけれど、そんな気力1ミリも残っていなかった。

何時間外にいたかは分からない。気付くと、私は柵から降りて泣いていた。自分には死ぬ勇気すら無かったことが当時は哀れで、惨めで仕方なかった。

コンクリートに触れる裸足の裏から、12月の真冬の冷たさが伝わってくる。生きてる実感を感じた瞬間だった。



テレビは温かい



そんな孤独な空間から、私を救ってくれたのは紛れもなくテレビだった。テレビが友達だと断言してもいいくらい、来る日も来る日も朝から晩まで見た。


中でも1番好きだったのはドラマ。ラブストーリーにときめき、殺人犯が誰なのか考察し、ヒューマンドラマでは思い切り泣いた。

自分の感情が動かされる楽しさと、毎週続きがやってくることから生まれる活力が、間違いなく自分の生きる支えとなっていた。

そして唯一父と話せる日曜日。テレビが生み出してくれる温かい空間を通して、今日楽しかったことや悩んでいることを共有し、たわいも無い話をする時間が何より好きだった。

この経験から"テレビ番組を作りたい"という夢を、私は持つのである。


3.浮かれてる大学生と一緒にされたくない



時が経ち、私は大学生になった。
大分省いたがあの後高校受験、大学受験と失敗で終わり卒業式後に進路が決まった。

高校時代は漫画に描けるほどヤンキーしかいない学校に入学し、充実した3年間を過ごしたが、その話はまたいつか書こうと思う。

希望していた大学には入れなかったが、テレビ番組を作る仕事に就きたいという夢は曲げずに、むしろ就職活動だけは絶対に成功してやると燃えていた。


時間の効率化


そこからは怖いくらい順調だった。

少しでも自分を成長させたい思いから昼間の学部を蹴り、朝から夕方まで自由な時間が取れる夜間大学に入学することにした。


大学1年生ではWEBライターの長期インターンを始め、女の子なら誰もが知っている某企業で週3日、10時から17時まで働き始めた。ここでは編集長のご厚意もあって、あの某女優と対談する機会が巡ってくるほど貴重な体験ができた。


大学2年生の夏には早くもテレビ局のインターンに参加しようと決め、日本テレビとフジテレビにESを出すとどちらも通過連絡をもらえた。


日本テレビのインターンでは3年生に混じり記者職のインターンに参加させてもらった。あのnewsZEROのセットでディレクターの役割を経験し、私達の班は3分間のプレコンで見事1位を取った。


私はずっと嵐のファンでなかでも櫻井くんが好きだった。彼を担当している社員さんに会えた時は心底嬉しくその日は眠れなかった。

翌週にはフジテレビのインターン面接があった。結果は残念だったけれど、2年生であの場所に行けたことは自信に繋がった。

大学3年生になると、誰もが知ってる大手広告会社の長期インターンに参加できることになった。周りの学生のレベルの高さに圧倒されながらも、約2年間そこで得た知識や経験は就職活動に大きく影響したと思う。


4.本命テレビ局、選考スタート



大学3年生の夏、勝負の時が来た。

テレビ局の夏のインターンは参加しないと内定が出ないと風の噂で聞いていた。何としてでも参加したい気持ちがあった。   

しかし大学2年生の時に通過できたことが仇となり、痛い目を見ることになる。

なんと全民放キー局にESを送るも日本テレビしか通らず、TBS・テレビ朝日・テレビ東京・更に2年生の時に通過したフジテレビすらも通らなかった。



"終わった"

悔しさを押し殺し、参加した日本テレビのインターン。優秀な学生が呼ばれ、内定に近づくと聞いていた上級編インターンにはやはり呼ばれなかった。


あまりのショックに寝込んだのをよく覚えている。
そしてこの時期、他の制作会社や他業界のインターンに一切参加しなかったことも、今思うと大バカだ。それほどテレビにしか興味が無かった。



本番


大学3年生、10月。
テレビ局は本選考が早く始まり、夏のインターンで落ち込んでいたのもつかの間である。

秋が来ると早くも本選考の知らせがメールで届いた。挽回しなければいけない思いが溢れ、必死でESに取り組んだ。


しかし、ここでもまた衝撃的なことが起こる。

またしてもTBS・テレビ朝日・テレビ東京はESすら通らなかった。インターンは倍率が高いが本選考のESは通りやすいと聞いていた為、自分の無力さと低能さに呆れ、膝から崩れ落ちた。



この時から徐々に私は気付いていた、自分はテレビに向いていないことを。



人生初の本選考、一次面接は日本テレビだった。大会場に大勢の学生が10分ごとに交代され流れていく。


私の担当面接官は男女1人ずつでどちらも優しそうな雰囲気。とても話しやすくこれ以上のパフォーマンスはできないと、親に自慢するほど上手くいった。



……と思ったが、数日後お祈りメールがきた。
人生初のお祈りメールは自分が1番行きたかった憧れの日本テレビだった。

その後もフジテレビは二次面接敗退、NHKは三次面接敗退、関西テレビは一次面接敗退、東海テレビに限っては緊張から逃げ出し面接を辞退した。

テレビ局の本選考は八次面接ほど長いフローの中で、これしか進めない自分にもう自信など残っていなかった。



"辞めよう"


完全に心が折れた私は1度テレビ業界から離れ、他業界を見てみることにした。


あんなに好きで、目標にしていたテレビを私は簡単に捨てた。むしろ現場で駆け回るADに自分はなれるのか不安を覚え、慎ましく企業のオフィスでパソコンをいじっている仕事をしたいと思っていた。



この時には年度が変わり2020年が幕を開けた。


5.新たなフィールドへ



テレビから離れた私は広告にエンタメ、そしてメーカー(主に食品と玩具)に目を向けた。しかしエンタメ、メーカーに限っては1社も引っかからなかった。


今思うと、この時も大バカだったと思う。私は就職活動への意識が高く、他の大学生よりも早くから行動していたことが裏目に、自信とプライドの高さが悪い方へと流れて行った。


周りのチャラチャラしている学生なんかに負けたくない。自分の能力には価値があると勘違いしていた私は、大手人気企業しか受けていなかった。



2020年3月

人生で誰もが想像もしなかったことが起きた。
コロナウイルスだ。

就職活動は完全停止。

家での自粛生活が始まると、大学3年生の7月から必死に頑張ってきた私の就職活動に1度終わりがきた。

完全にやる気を失った。

全力で走り続けてきた私を強制的に止めるウイルス。企業研究や自己分析をこの時期にもっと詰めておけば、もっと早くに就職活動が終えられていたかもしれない。

しかし当時の私にはもう力が残っておらず、やらなきゃいけないと思いながらも何もせず、家でゴロゴロしていた。


6.取り残された負け組


自粛が解除され、2020年の6月になった頃、
自分が負け組になったのだと気付かされる。


やりたいことがない

何をしたらいいかわからない

そう言っていた周りの友達が続々と5月中に内定を貰い、6月に内定をもっていないのはマイノリティだという認識が広がっていた。



2020年7月

私に最大のチャンスが訪れた。


狙っていた芸能事務所と広告会社の最終面接が決まり面接した後、口約束で内定をもらったのだ。


是非来てもらいたい、内定通知書を送ります


報われたと思った。嬉しくて嬉しくて仕方がなく、長かった就職活動が終わり苦しくて辛いこの生活から抜け出せる、そう思っていた。


7.理不尽と限界


矢先、思わぬ出来事から私の心は再度完全に折れた、しかも今度は立ち直ることすらできずに。


なんと口約束で内定をもらった企業2社とも、内定切りをされたのだ。どちらも1か月以上音信不通が続き、どうなっているのかと催促メールを送ると不採用の返事がきた。



なぜ?

裏切られた気持ちでいっぱいだった。


涙すら出ない。カーテンを閉めベッドに籠り、家族以外の人と誰とも会わず引きこもるようになった。


死にたい



日々この気持ちは膨れ上がっていく。なぜ自分がこんなにも上手くいかないのか、自分の何が悪いのか分からなかった。

酒に溺れ3月に就職活動が一斉解禁された頃、やっと行動し始め何をしたらいいか分からないと私に頼ってきた友達の方がいとも簡単に内定を貰える意味が、私には全く分からなかった。

自分の方が絶対優れている
自分は社会不適合者なんかじゃない
自分は社会に貢献し、社会に必要な人間のはず


そう思いたかった。


こんな状況の中8月末、祖父が亡くなった。

死にたいと思っている自分は生きていて、祖父は突然死んだ。生きるってなんなんだろう。


8.解放されるには行動するしかない


2020年9月

不幸なことが続き傷心していた私も、あることがきっかけでもう一度だけ就職活動を頑張ることを決意した。


毎日説明会を入れ片っ端からエントリーボタンを押し、ESも何十社と書く。精一杯に、もう頑張れないと思うほど頑張っても無理なら辞めよう。

22卒に留年でも既卒でもいいから移行しよう。それも無理なら正社員なんか目指すのもやめて派遣やバイトでもしよう。


そう決めて頑張った。

でも頑張れなかった。


毎日予約した説明会も、負担になりキャンセルする日々が続く。頑張って書いたESが実を結び面接に呼ばれるも、緊張しすぎて震えが止まらず体調が悪くなり、辞退することがほとんどだった。


どうせ頑張っても落ちる

頭にはそうよぎるのだから。


2020年10月

私は就職活動のやり方を180度変えた。

それは自分が本当に行っても良いと思う企業に絞ること。性格上、持ち駒が増えすぎるとパニックになったり、やる気を無くしてしまうことをやっと知ったからだ。



この時点で残り三社


1つ目は人材系ベンチャー企業、エージェントに進められた。

2つ目はIT系ベンチャー企業、オファーボックスからスカウトがきた。

自分でコンテンツを企画できるディレクター職採用で、企業理念や就活軸ともマッチし、好印象だった。


3つ目は大手出版社、ESが通過し面接案内がくるも人気業界、人気企業にプラスして採用人数が残り1名と表記されているのを見てほぼ諦めていた。


どれも今まで経験したことないほど、順調に選考が進む。そして人材とITの最終面接に呼ばれた。


しかし結果どちらも不採用。人材は興味が無かった為、何とも思わなかったがITに関しては人もかなり良く受かる見込みを感じていた為、相当凹んだ。



そんな2社の不採用通知がきた日、3社目である出版社から最終面接連絡をもらった。


9.本気



結果から言うと、この出版社から内定を頂いた。

本当にラスト1駒だった。
これが不採用だったら留年してもいいか、家族に相談し了承を得ていた。


私が立ち直れず引きこもっていた8月。そしてあるきっかけで立ち直り、頑張ろうと決心した9月。

そのあるきっかけとは、たまたま寄った本屋で手に取った1冊の絵本。

その絵本にはよく頑張ったねとたった1行書かれていた。その言葉が強く心に刺さり、本屋の誰も見えない所で泣いた。


私は確かに頑張ってきた。でも結果が全てである就職活動。誰かに上手くいかない就活を褒められ、肯定されたことなんか無く、絵本から伝わってきた想いに心を打たれ、もう1度頑張って見ようと決めたのだ。


この出来事があってから必死にまだ募集している出版社を探し、急いでESを送った。


そして、出版社の最終面接。
社長にひとつだけ質問された。



"どうして出版社なの?"


私は泣きそうになりながらも必死に堪え、
本気で答えた。


「就職活動が上手く行かずどん底にいた時、1冊の本に救われました。

私もいつか誰かの人生にとって大切な1冊、

この本のおかげで救われた、考えが変わった、支えられたと

人生に影響を与えられるような1冊を作家さんと共に作り、

世に広めていきたいです。」



10.いつか



テレビに救われ、持った夢。

「誰かを笑顔に、そして辛く苦しいと思った時に支えとなれるようなテレビ番組が作りたい」


様々な出来事があり、一時期は死んだ方がマシだと思った私の人生と就職活動。

本来の夢であったテレビでは無かったけれど同じ「媒体」である、「本」という手段で叶えられた夢。

いつかこれを長くも読んでくれたアナタにとって、最高の1冊となるような本を届けたいです。


そして私も、いつか自分の本を書いて出したい。
そのタイトルは




「新卒採用なんかクソ喰らえ」





にしようかな。



ーーFinーー

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