憧れだった、櫻井翔くんに会うまでの話
2023年、転職して1年半が経とうとしていたある日、私の人生で2番目の夢が叶った。ずっとずっと夢に見た光景が、現実になった瞬間だった。
中学1年生の時、一人の空間が寂しくてどうしようもない日常を救ってくれたのは紛れもなく「嵐」の存在だった。 テレビでは毎日メンバ一の誰かが出ていて、 ドラマもバラエティーも、音楽番組も、私の日常はほぼ嵐だった。
「いつか嵐と仕事がしたい」
そんな馬鹿げた夢を持った私は、テレビ局への就職を夢に見るのである。
夢は突然叶うものだ。「櫻井さんの取材、来る?」先輩にそう言われた。 何が起きたか分からなかった。
毎日、カウントダウンのように時は流れていき、あっという間にその日が来た。正直一睡もできなかった、会う数十分前にはトイレに駆け込み、緊張からか体調が悪く座り込んでしまった。
携帯を見ると父から 「泣くなよ!」と連絡が入っていて、 私は彼に会えたら何を思うんだろうとトイレの天井を眺めていた。
心臓が破裂しそうだ。 今すぐ逃げ出してしまい
たいと下を向いていると「お願いします」と声
がした。
あの嵐の櫻井翔が目の前にいた
テレビで見ていた時と何も変わらない彼がそこにいた。翔くんを見た時、私が一番最初に思ったこ
とは「小さい」。 身長の話ではない、華奢という意味だ。
そして浮かんだ光景は「活動を休止します」という見出しの記事を見たあの駅のホーム。崩れ落ちて行った自分の姿だった。
私って、ファンとして彼を幸せにできたことがあるのだろうか、傷付けたことの方が多いのではな
いか、そう思ったら涙が出そうになった。
翔くんがあまりにも普通の人間で、LIVEで見た時よりも遥かに小さく見えて、そして私ばかり彼に幸せを与えてもらっていた事を実感した。 そして今もまた、幸せをもらっている。
取材が終わった後、携帯を見たら父から「どう
だった?」と連絡が入っていた。「よく分からない、でも思っていたより華奢だったよ」と送ると、父からは「パパは泣いていました」と返信がきた。
話を聞くと父は私の夢が叶ったこと、そして翔くんに感謝しなきゃいけないことがたくさんあると言った。
親の都合で勝手に離婚して、寂しい思いをたくさんさせて、嵐にはありがとうって何回言っても足りないんだよ、と。そんな父の言葉が刺さり、私は泣いていた。
父よ、 あなたが嵐の話についてこれるよう私の持っていたDVDを夜中に見ていたことを私は知ってます、思春期だった私と会話が無くならないように嵐のドラマを全部一緒に見てくれたこと覚えてます、 ファンクラブもLIVEも高いのに行かせてくれたこと忘れてません。
そしてずっと育ててきてくれたから、こうして夢が叶う日が来たのだと私は思います。 櫻井翔くん、私が何もできることは無いかもしれないけれ
ど、何があっても味方でいるファンはここに二人いると教えてあげたいです。
これまでも、これからも、ありがとう
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