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ホームにステイすること

今年は2度、フィリピンに行った。
学生の頃と合わせると、フィリピンでのホームステイ経験は計4回となる。

あの村を思い出すと、生きていけるなあ、と思える愛おしい場面がいくつもある。
初めて行ったのは18の時で、もう6年前。わー。

たくさんある中でも、私が今でも鮮明に思い出せる、
(それが最近の記憶であれば)ずっと忘れないだろうと思える場面はほとんど
家の中からだと気づいた。

18の時ホームステイしたおうちの自室は2階にあった。窓は両開きになっていて、遠くに山や空が広がって、真下には紫キャベツの畑が一面に見えた。

ホストマザーを思い出す。台所に立ったり、子供を抱いている彼女の、少しだけ逆光の顔が浮かぶ。背後のドアがいつも開けっぱだったから。


今年滞在したのはどちらも大きな家で、
海の見えるベランダでおばあちゃんと2人コーヒーを飲んだ。
2日もの長い移動時間を経て村に着いた日だった。
「寂しく(lonely)なったら、ここでコーヒーを飲むの。あなたもそうしなさい」と言われ、ここに来てよかったと思った。これも一生忘れない思い出。生きていけるなあ、と思える愛おしい場面。

教会の隣の家にステイした時は、
ベランダで本を読んだり、星を見たり。
外を眺めてると、犬が集会を、鶏が仲間と散歩をするのをよく見たし、
全然知らない村人が挨拶をしてくれるのも珍しくなかった。

私は生粋のインドアだけど、
家と外の境に居るのがすごく好きなんだと思い至る。

散歩やドライブとはちがう。
家というパーソナルな空間に身を置き、
考え事や感情を脳内で遊ばせながら外を眺める。
はたまた外から入る情報を家にいる自分の頭の中(超個人的)で広げるのが楽しい。

ドラマチックな出会いや異国ならではの風変わりな経験もたくさんした中で、
私が挙げる思い出はなんと閉鎖的かと思うかもしれない。
書きながら自分でも、陰だ、とおかしい。

ただ私にとっては、自分のアンテナが世界に向いてる瞬間でもあり
社交的ではないが内省的とも違う、開放のひととき。

一歩外に出ている時の方がよほど気を張り、閉じているのかもなあ。

と、どうでもいいような
ものすごく大事そうな
自分のこと、を知る。

紫キャベツの畑
教会の十字架と背の同じベランダ
犬にもコミュニティがある
完璧な瞬間


窓の多い家、もしくはドアを開け放しても大丈夫な場所に住む
というのが、今年生まれた私の新たな夢です。
ベランダは広くなきゃ駄目だ。

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