愛しい骨
ロイが死んでから5日が経った。
享年13歳と2ヶ月。
死ぬってなんだろうと、あれからずっと考えてる。
肉体がなくなること?
魂がどうのとか心の中にいる、とかよく聞くけど、それじゃあ肉体がなくなるってなんだろうね。
ロイに噛まれた一生消えないと思っていた左手人差し指の傷が、気づいたらよく見ないとわからない程度になってる。
私はまだ再生される細胞を持っている。
目を見開きもう瞬きをしないロイは、抱きかかえることができないほどに固くなっていた。
ロイへの愛おしさは全く変わらず私に在るのに、ロイがもう居ないっていうのはおかしい。
人間の焼き場とは異なり、装飾のないむき出しの窯で焼かれたロイの肉体。その後見た骨は信じられない程小さい、老犬のそれだった。喉仏や骨盤や頭の骨全部に不思議なほど愛情が湧いた。
金の刺繍が施された骨箱には「愛犬ロイ」と書いてあって、多くの家にあるであろう柄のただの箱がこれまたたまらなく愛おしく、眺めるだけで何度でも泣くことができた。
お骨はロイ?それとももうロイじゃないのかな。
対面する前の苦しみと、死んだロイを見た後の悲しさ。
息はしてなくても触れられた5日前と、もうあのもふもふに触れることのできない今。
記憶や想像で涙することに限界が訪れ、この悲しみも段々と体に馴染んでいくだろう。これもまた、生きているってことだ。
ただ、今はまだ。
会いたい気持ちが苦しいと同義のうちは。
ありがとうと大好きで胸が満たされる日まで。
今はもう少し、生き死にを考えながらロイを弔おう。
ロイ、会いたいよ。
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