お笑い番組を10年ほど見ていないと気づいた
先日Mー1があったそうな。テレビの電源を抜いて2ヶ月以上立っており、最後に見た番組は金曜ロードショーの私には特に興味をひかない話題だったが、SNSがそれで湧いており、世間では楽しみの一つなのかと感じながらSNSを閉じた。
学生の頃はお笑いが大好きだったのに、いつしか強烈な違和感を感じ、全く笑えなくなってから見るのをやめた。併せてお笑い芸人や毒舌のコメントを吐く芸能人が出ている番組も見るのをやめた。ストレスだからだ。
様式美として誰かを落としたり叩いたり、それを笑いにしようと年功序列の圧を掛けているのを見るのがどうしてもしんどいのだ。勝手に裏の事情を想像して苦しくなっているのかもしれない。もっと他に脳みそを使えばいいのに、うまくいかないものだ。
先日YouTubeを見ていると、お笑いはいじめの構造と表現されていた。とても腑に落ちた。
自分はいじめられた経験があるから、誰かが貶められたりネタにされたりすることを見せられるとそれを思い出すからしんどいのだと気づく。
自分を貶めたり馬鹿なことや差別的な発言をし、それに対して言葉の圧や時々痛そうな殴りなどが入る。それを見る観客はどのような心情なのだろうか。何を持って笑えているのか是非解説してほしい。
私はお笑いを見ていると自分もいつか笑われる側の立場に立って貶められるんだろうなと怖くなる。精神イってんな。
道化とそれを見る観衆。
元来お笑いというものはそういうものなのかもしれない(調べてないのでわからない)ので自分の肌には合わなかっただけなんだな。
この心を失ったせいで、楽しいと感じられるものを一つ減らしてしまった。それは勿体無いと思いが、そこは自分が面白いと思えるもので埋めていこうと思う。
Mー1があったことはSNSの呟きで知った。皆はこれが楽しみだった!と喜んでみている。楽しそうで何より。ただ自分は見ていないので共感はできないのが残念だ。
今見たらまた違う観点で見られるのだろうか。
お笑いを見なくなって久しく経っているので今のお笑いの形はわからないけど、どうか誰かが傷つく笑いじゃなくて朗らかで温かいものであってほしい。そして誰かの「面白い」を追求し努力するお笑い芸人さんはとても尊敬する。どうか幸せであってほしい。