Lie街
執筆のハードルを下げる試みをしています。気が向いたときに文字を書くことで、文章を書くということのハードルを少しでも下げて文章力アップを目指しています。 誤字脱字、乱文が目立つかもしれませんが、温かい目で読んでやってください。 一日、五百字程度を目安に執筆します。
※本作は「津波」や「災害」といった表現が含まれております。気分が悪くなった場合は速やかに読むのを中断してください。 教室の窓の外には海があった。でも、それは決して綺麗な青い海ではなく、酷く濁った水だった。私は、3年2組の教室からその様子をただ眺めていた。大きな土色の波が学校を飲み込もうと、校舎を抱きかかえている。これだと思った。退屈な日常、くだらない会話、つまらない授業。それを打ち壊す何かを、私はずっとこの透明なガラス越しに想像を膨らませていたのである。それが、今まさに
八月二十一日、姉の自殺を止めた。妙に高いテンションで空元気を振りまく姉と、天井にぶら下がる縄が不協和だった。私は姉の自殺を止めただけで、ここから不安定な姉を支えなければならないと思った。時計の針が不自然なほど大きな音をたてている。 姉はしっかり者だった。子供の頃から勉強ができ、学校でも人気者で、私の面倒もよく見てくれた。得意料理はオムライスで、お手本のようなラグビーボール型に、ケチャップで私の名前を書いて出してくれた。夏祭りにも毎年欠かさず行っていたのだが、友達に冷やか
赤いカップが宙を舞った。あれは私が高校生の時、友達と一緒に修学旅行で買ったおそろいのマグカップで、デザインも気に入っていたので長年使っている。しかし、そのカップは今、目の前で壁に激突し、真っ二つに割れ、賃貸の壁をへこませた。次は、透明なカップだ。あれは、知り合いの腕のいいガラス職人が私のために作ってくれたもので、品がよく気に入っていた。壊れないように気を使って洗ったりしていたのだが、それももう意味がなくなった。床に叩きつけられ、破片は盛大に部屋を駆け回った。 私は食器を
朝、目が覚める。当たり前の日常が始まる。 夕方、風呂に入る当たり前の日常が、当たり前のように終わりを迎える。 日常の中で、死にゆく命がある。その命もまた、運命であるのかのように終わっていく。 人間は等しくみんな死にゆく。その命の中で何をするかによって、命の価値は変わる。何を遂げるかによって、惜しまれるのか、恨まれるのか、なんとも思われないのかが変わる。 命は皆平等という幻想は崩れ始めている、時間は皆平等だという幻想も崩れ始めている。死だけが、平等に与えられる。 電車
電車に揺られながら、瀬尾まいこの夜明けのすべてを読んでいた。私は窮屈な、二人がけの席に腰掛けている。大学三年生の春休み。高校生の時に連絡を取っていた友達に、久しぶりに会う。高校一年の時に遊んだきりもう五、六年は会っていない。 「前川さん綺麗だったね」 「うん、ほんとに綺麗だった」 「...…」 目の前では家族らしい三人組が、和気藹々と談笑している。母親と娘は盛んに結婚式での出来事について話している。父親は目線をぼんやりと持ち上げ、遠方の山の頂点を見るように、車内広告を
つげ義春氏という名前は、かなり前から知っていたが、実際に手にしたのは去年の夏が初めてであった。 私小説風の作品が多数収録されている。私の好みの作品もその系統だったので、お気に入りの一冊になっている。 読んだ感想としては、人間のおかしさや浅はかさ、そこはかとない生暖かい欲望が渦巻いている作品だと思った。 中でも『夢の散歩』がお気に入りだ。 夢の散歩はその題名の通り、まさに夢の中で起きたような少し飛んだ内容を含んで居る。 ただ、夢の中のようだというのは、単純に空
午後の日差しは、昼間の光と同じ色をしているが、隠し味のような怠惰が折り混ざっている。 それは、クラッカーを食べたあとに喉に残る異物感のようなもので、そこに確かに存在しているのだけれど、取り除けないなにかだ。 各駅停車の電車はいくつもの駅を通過して、よく知らない画家の、ありきたりな展覧会に何枚もぶら下げてある風景画のように、つまらない景色ばかりを右から左に流していく。 しかし、つまらない絵だ景色だと思いつつも、よくよく見てみると新たな気づきや発見や、この間見たときとは違
めんどくせぇ 嫌だ いっそのこと皮膚をはいで、その皮で抱き枕を作ってくれ。 そして、造作もなく捨ててくれ。 ほらね、心がささくれてるんだよ。 この心に巣食うひねくれものがいるのさ。 僕は別に、そのひねくれものを排斥したいわけでも、屍にしたいわけでもない。 ただ、文句は、ため息は、譫言は、嫌味はもう少し声を潜めて言って欲しいだけなんだ。 独りになったって、ひねくれものだけはいつもそばにいてくれるから。嫌いになれないんだ。 嫌いになろうとも思わないしね。 僕はね、
noteを書こうと思った。特に書きたいことはないが,何となくそう思った。 キーボードに手を置くと,その色の白さにたじろいだ。手首にマネキンの手を取り付けたような白さだ。 しかし,よく見ると血管があったし,爪の根元にある白いささくれも人間らしさを演出していた。 どことなく眠い。薄い布を頭にかけられているような肌寒い眠さだ。 「ああ」 「あ~あ」 こたつから抜け出せない。カタツムリの殻を,カタツムリから引き剥がすことができないように,私とこたつは一心同体だ。 そうで
雑音ばかりが聞こえている。 イヤホンをすると、日常の音が音楽の一部になる。 白い砂の上をただ、歩いていくように。 私は何も考えずに、人生を辿っていく。 幸せなくせに、幸せなせいで、また少しずつ不幸の中にのめり込んでしまう。 怠惰、惰性、安定 退屈だと言うには、忙しすぎるし、満たされていると言うには、足りないものが多すぎる。 ふと、目を閉じる。 幼き日に見た悪夢は、今も色褪せることなく、走り回る。 そこでは、私は全くの無力で、全てはシナリオ通りに進める他にはない。
二組のカップル 私の目の前には、二組のカップルがいた。 どちらもよく似た雰囲気のするカップルだ。 相違点を上げるとすれば、髪が明るいか暗いか、その位の差しかなかった。 私は食堂にいた。もちろんカップルもだ。 食堂には、よくわからないヘビーメタルがBGMとしてかかっていた。 食器のぶつかる音も、他の人の会話の声も、全ては食堂という一つのアルバムの中の曲のようだった。 私の正面にいる方のカップル(以降、茶髪と呼ぶ)は、どちらもスマホをイジっていて、会話が少なかった。
ぐぐっ、ぐぐぐㇽ。 話したいことが、無いようで有る。 内容は無いようである。 人と話すとき、その人の目を見るとき、微かな拒絶が首を走る。 頭の頂点から後頭部に向かって、降りたところ、つむじの少し下辺りにそいつはいる。 ぐぐっ、ぐぐぐㇽという感じで、短時間にそいつは首を走っていく。 なんだか、嫌な感じだ。でも、意図的にしているわけではないので止まることはない。 ぐぐっ、ぐぐぐㇽ。走っていく。 やかんのお茶が沸騰すると、火を止めるまではその音がやまないように。 ぐ
感情 「あれっ?なんで今笑ったんだろう」 そういうふうに思うことが偶にある。 とはいえ、その問いに意味があるとは思えない。だから、気にしない。 「腹が立つ原因はなんだろう」 そういうふうに考えることには意味があるように思える。 自分の怒りの沸点はどこなのだろう。 許容範囲は何処までなのだろう。 この先の自分に、役立つような感じがする。 「この悲しみはなんだろう」 これは創作に役立つ気がする。 だから、大切に取っておく。 偶に訪れる、ぐわんと視界を揺るがす
風呂までの 目が覚める。しかし、朝ではない。 ずんぐりとした昼が、私を見下ろす。重たい。 最初に目が覚めたのは、6時半頃だった。 けれど、雨の打つ音が聞こえてきて、それが私の心の中にまで浸水してきて、チャポンチャポンと音を立てるから、私は横にならざるを得なかった。 私は昼を朝だと仮定して、モーニングルーティンを始めた。 水シャワーを浴びて、珈琲を入れて、そこに氷を放り込んで、カップに注いだ。 しかし、空腹が私の邪魔をした。 朝だと仮定しているのに、この空腹
知らない 結局、友情とは何なのだろう 結局、恋人とは何なのだろう 結局、孤独とは何なのだろう 20年間、曖昧なままにしている問題は沢山ある。 白黒つける事ばかりが正義だとも思わないし、むしろ曖昧なままのほうが好みだったりするのだけれど、ふと気になる夜がある。 友達と過ごす時間はたしかに楽しい。 それに嘘はないと思う。 しかし、友達と分かれた直後に来るあの孤独は何なのだろう。 すれ違う人々を見る度、「この人は私の事を何も知らないのだろうな」という気持ちが鮮明
イン・ザ・トレイン いつも通りの駅に向かって、いつも通り(より少し早い)電車に乗り込んだ。 電車が7分も遅延していたので、陸上選手の短距離走のように疾走した私は拍子抜けした。 本当はどこかに腰掛けたかったが、一度座れば最後、もう二度と立ち上がれない気がしてやめた。 村上春樹氏の「パン屋襲撃」を呼んでいた。ちょうど、主人公が妻にレストランに行こうと誘い、妻がそれを断ったところで電車がやってきた。 電車が大量の人を吐き出し、大量の人を呑み込んだ。 私は偶然にも席に座る