最初はホームレス社長だった。
思い返すと懐かしい創業の地「池袋」。ということでサンシャインの写真。
東京で創業したばかりの頃は、本当に貧乏で貧乏で、お金がなく。僕は会社で暮らしていました。部下に満足いく給料も払えないのに、自分の暮らしを守りながらの起業ってのは、どうも格好がつかない、とおもってました。しかも僕は元来が怠け者。自宅なんか持っちまうとダラけるし、いつまでも寝てしまうし、そんなことで人がついてきてくれるわけがないと思ってたんですよね。創業してから2010年後半まで僕には自宅はなかったのです。すごく自分を試される時間だったと思います。一度、景気が悪くなって会社に住もうとしたりと色々ありましたが、今時点では何とか暮らせています。これからも自宅を失う可能性もあると思いますし、そうならないように経営していくことが大事だと肝に銘じています。
わざと大変そう、苦労話風に書いていますけど、その暮らしはというと結構楽しかったり思い出深い日々でした。なにせ池袋ですので、本当に便利でしたし、近隣に銭湯もあって、毎日、銭湯に通ってましたし、ユニクロのポロシャツの色違いをローテーションしたり。デスクの椅子置き場が自分のベットだったりと非常に毎日が楽しく刺激的でした。プライベートはほとんどなかったように思います。けど、深夜まで役員と語りあかしたり、銭湯に行って話したりと本当に思い出深い毎日でした。時折、こんな僕にも若手経営者さんから相談をいただくことがあるので、そんな話をすると、大半の方が勉強にならんとか苦笑されてしまうのですが、それでもやはり「安全地帯での創業は無理」という言葉だけは持って帰っていただけます。不安定な時期だからこそ、そのリスクを自分で含んでしまうしかないんですよね。さらに加えると年金の加入は役員の中では一番遅かったのも自分です。なにせ貧乏でしてそうなるのは致し方ありませんでした。
一つだけこれだけは勘弁してほしいということが、目玉焼きが好きな時に食えないことでした。僕は目玉焼きが大好物で、更にはこだわりの堅焼き派ですので、店で食べればいいでしょう?と言われても大体が出てくるのは半熟です。さらに言うと食べるときは2つ焼いていて欲しい。一番の好物は目玉焼きなんですが、次に好きなのが玉子焼きなので玉子で我慢しようにも、これはこれで味付けが店によって違うから困る。ということで、僕の目玉焼き放浪記が始まります。と、言っても牛丼の松屋さんの朝の定食メニューに目玉焼きがついてくるのでそれを食べるというだけのことなんですが、今はよほど僕と同じ考えの人が多かったのでしょうか、松屋さんの朝定食の目玉焼きのダブルというのはあるのですが、当時はなくてとにかく通いまくって目玉焼きの追加オプションを頼んで、更に堅焼きで頼むと店員を拝み倒してなんとか急場をしのいでいました。なにせ松屋さんからしたら、朝の忙しい時間に面倒なことをいう奴だという感じだったのだと思います。その節は大変お世話になりました。そして、その時からずっと僕は松屋のファンなのです。
さて。。。。話がそれました『ホームレス社長』の話でした。
自宅がないというのは本当に貴重な経験でした。しかし、人間というのはあさましいもんです、なんて悟ったことを言うのもおこがましいのですが、一度、自宅がない経験をしたらもう、これ以下はなかなか経験できません。私物は持てませんし、好きな時にシャワーも浴びれません。テレビも見れませんし、服も買えません。スーパーの半額セールが気になりますし、温かいスープはコンビニに行かないと飲めません。
今となれば、あん時よりマシだよな、とか比べて今がいかに幸せかを再確認してたりします。
そんな永遠につづくかと思われた環境の中でついに変化が訪れます。「社長、利益が出てます。これで自宅を借りることができますね!」そのころにはすっかり税理士さんも僕の味方です。励ましの言葉が電話から飛び込んできたことを今でも思い出します。
マジですか・・・・までは言いましたが、やはり僕にはすぐに自宅を手に入れるのは無理でした。実家への仕送りを増やすとともに、余剰利益で部下への社宅を2つかりました。結婚するという2名の役員への賞与、いや昇給の代わりです。そこから更に1年くらいその暮らしを続けて、ついに僕は自宅を借りることになります。
自分の家があるって本当に素敵ですね。そしてそれは当たり前のことでありません。僕のやり方が褒められたものでもないと思います。けど、おかんは僕が部屋を借りた時に涙ながらに、すごく喜んでくれました。そして、闘病中だったのですが、病を押して東京に来てくれました。きっと僕の世話をしたいと思ってくれたのだと思います。
これがおかんの最後の上京でした。僕としても本当に部屋を借りれて良かったと思いました。
なんだかとりとめのない話になりました。母の日近いということで、苦労話に見せかけたこんなお話しですがご容赦を。
創業15周年を迎えましたので一区切りという事で昔語りをさせて頂きます。宜しければご覧くださいね。